沖縄県平和祈念財団が国立沖縄戦没者墓苑HPの「国難に殉じた戦没者」「祖国の平和の礎となられた同胞」との表現を削除した◆研究者らの「国立墓苑で沖縄戦犠牲者の追悼式をすることは、国家が引き起こした戦争に巻き込まれて肉親を亡くした県民の感情とは相容れない」等の主張があると知り、以前の説明文に戻したという◆慰霊する以上は霊を信じているはずだが、なぜ彼らは遺族の、しかも感情だけを問題にするのか。霊の思いはどうでもいいのか。いや、慰霊という形で遺族を慰め、愚かな戦争を戒めているのだ―。では物申す人はなぜこの国「だけ」のせいにするのか◆沖縄戦は先に日本を仮想敵国とし、沖縄へ向かわせた戦艦大和を葬った米国のせいである。列強による帝国主義時代のせいである。たまたま敗戦国に生まれた偶然性のせいである。とすれば何も「国立」に、青筋を立てることもない。国立墓苑である以上、国が「祖国のためなの」と解釈するのは自然である。県民はなぜ「私たちのため」と解釈しないのか◆そもそも何より、「のせいだ!」―と、煽(あお)りたいなら煽るがよい。そんな他人任せの窮屈な。霊も遺族も県民も、「善い」生き方だと本当に、思っているとは思えない。 (S)