「犬は飼い主に似る」というが、興味深い光景を見た。石垣市が実施している犬の狂犬病予防集合注射の会場である◆反応は実に様々であった。首輪が抜けんばかりに抵抗し逃走を試みる者。全てを悟ったかのような表情で淡々と受け入れる者。他犬への尋常ならぬ興味から注射にすら気づかない者―。「飼い主に似る」と口にすれば、怒られただろうか◆個々の反応には先天的な性格に加え、天与の環境でいかなる経験を積み重ねてきたかが、如実に現われているに違いない。むろん飼い犬が自由意思に基づき食べ物を選び環境を整えるわけではないのだから、「犬生」を大きく左右する飼い主の責任は、極めて重い◆犬は言語を用いない。ゆえに世界の意味や物事の価値を問うことはない。病に侵されれば無目的な徘徊や無暗に咬み付くなどの狂躁期を経て、死に至る。しかし犬はあの一瞬の痛みの中に、命を守るという価値を見出せない。痛みを拒む生の本能が、かえって生に逆行しているなどとは考えない◆人は言語を用いる。ゆえに世界の意味や物事の価値を問う。世界にどのような意味を付与し、どこに価値を見出すかは、付き合ってきた言葉に拠る。それがそのまま人生となり、犬生をも左右する。「似る」とは、そういう意味であろう。 (S)