その価値を疑わぬ人々の「民主主義」が囂(かまびす)しい。だからこそ問い直したい◆戦後、民主主義を冷徹に批判した人物に福田恆存がいる。民主主義の政治原理は「他人を独裁者にしたくないといふ心理に基づいてゐるのである。一口に言へば、その根本には他人に対する軽蔑と不信と警戒心とがある」(「民主主義を疑う」)と指摘する◆なるほど、国防力強化に反対する人々は「権力の暴走」「民主主義の破壊」と色を作す。だが同じ人々が、核開発と人民抑圧の独裁国には「外交力、話せば分かる」と寛容である。他人に対する「軽蔑と不信と警戒心」がこの時だけは飛んでいる。「日本国は悪/己は正義」との認識が生む、当然の帰結である◆石垣島陸自配備予定地周辺には〝工事監視用ビニールハウス〟が未だに放置されている。配備反対の人々が公道に堂々と設置したのだが、道路法等に違反する行為である。設置者の一人は「法に抵触するが反対の意思表示」と悪びれないが、悪を否定すべく革命を肯定する「善意の破壊主義者」にみえる。反対集会で人々はそのハウスから、民主主義なるものを叫ぶ◆「愛の陰には色情があり、正義の陰には利己心がある」―。民主主義とはそれほど便利なものなのか、考えたい問いである。 (S)