知る権利によって国家と対峙する人々は、知ることにどこまで真剣なのか◆「国民に隠している事がある!」「情報を開示しろ!」、新聞や地上波で取り上げられる声デカき人々。知る権利を振りかざし、あたかも〝国家権力という悪〟に対する正義の使者のようだが、そこに落とし穴がある◆そも〝国家〟は虚構である。人間の自己保存の本能や私利自愛が創り出した観念であり、彼らが打倒しようとしているのは〝国民のエゴイズム〟に他ならない。国民のエゴイズムという悪に対する正義の使者、という訳だ。問題はその使者が、自分たちの正義の出所が自身のエゴイズムにあることに気付いていない点である◆エゴイズムの否定は、生の否定であり、エゴイズムを一方的に批判・断罪できるのは、エゴイズムのない人ならざる者である。権力監視をするなと言っているのではない。国家の虚構性や己のエゴイズムについて少しでも、考えたことがあるのかと問いたいだけである。虚構という現実を相手にするより前に、自分自身や人間を知ることは、権利というより義務である◆自分たちの正義にそぐわぬ〝国家〟に突っかかっているだけならば、駄々をこねる幼児と変わらない。いや、賢しらを覚えた分だけ、幼児よりも手に負えぬ。 (S)