【ゆいまーるリレー】想いプラスαをカタチに グラフィックデザイナー 唯木律子さん(44)

グラフィックデザイナーの唯木律子さん。オリジナルのアマビエ丑(アマ丑)の年賀状とともに

平成12(2000)年夏、石垣島。
 24歳、職なし。
 握りしめた10万円。
 笑顔。
 強い意志。
 そこから始めた。
 街中の看板、旅行パンフレット、居酒屋のメニュー、包装紙…。
 どこで何を目にしても、常に考えてしまう。
 パンフレットを目にすると、手当たり次第に持ち帰る。
 「デジタルの広告はその場で見て終わりだが、紙は残るし、質感やそれ自体を感じたい」
 実践を積み重ね、島の人たちに支えられてきた、24年間―。
 昭和51(1976)年4月、福島県福島市に生まれた。
 幼いころから絵を描くことが好きだった。
 高校は地元の進学校に通った。
 「絵で食べていく」
 進路指導の先生に怒られた。
 両親も反対。安定した公務員を勧めてきた。
 だが、笑顔と意志の強さは変わらない。
 2年間、仙台市の専門学校でグラフィックデザインを学んだ。
 20歳、福島に戻って印刷会社に勤めた。
 依頼を受け、想いをカタチにする。
 先輩や仲間との厳しく、楽しい時間。
 学んだ基礎を実践で試す日々を重ねた。
 石垣島へは、その頃から。
 これといった理由があったわけじゃない。
 姉の新婚旅行先が石垣島だったこと。
 南の島の温かさに憧れていたこと。
 不思議な縁。
 2000年夏。
 仕事に区切りをつけ、島へ移り住んだ。
 24歳、無職。
 あったのは10万円と笑顔と強い意志。
 1週間で職を見つけ、デザインTシャツ店や広告代理店などで10年以上、実践を積み重ねた。
 転機は、平成23(2011)年11月。
 日々向き合う1つひとつの仕事、デザインで喜んでくれる人の笑顔、とは別の、大きな成果が訪れた。
 新石垣空港のマスコットキャラクター「ぱいーぐる」(現・石垣市公認マスコットキャラクター)を生み出した。
 同年、忘れるわけもない。
 3月11日、東日本大震災。
 沈む気持ち。
 応募にはそれほど気が乗っていなかった。
 「応募したらいいじゃない」
 勧めたのは、絵で食べていくことに反対していた両親だった。
 震災の影響で、島に避難していた。
 「やってみようか」
 採用は望外だった。
 がそれ以上に、採用の表彰を、両親の目の前で受けられたことが望外だった。
 「デザイン、ずっとやってて良かったね」
 初めて、認めてくれた気がした。
 「HAPPY DESⅠGN(ハッピーデザイン)」として独立。
 ぱいーぐる生みの親として認知され、依頼が舞い込んだ。
 チラシ、パンフ、カードなどの仕事を通じて、島の人とのつながりを大切にしてきた。
 実力は増すばかり。
 今年は、4月11日開催予定の「石垣島トライアスロン大会2021」のポスターデザインを手掛けている。
 石垣島に移住した日から、21年。
 デザインの仕事、24年。
 「デザインの力で石垣島を明るく盛り上げていきたい」
 依頼を受け、想いプラスα(アルファ)をカタチにする。
 「これからも、印象に残るもの、ワクワクするもの、ぷっと笑っちゃうものを、たくさん創っていく」
 笑顔と強い意志。
 そして、〝おもしろ楽しい〟こと。
 原動力も増すばかり。
 * * * *
 「古臭い」と言われたらダメ―。
 流行り廃りの激しい世界で生きている。
 無限に存在するデザイン。
 ユーモアと楽しさを追い求める学びは絶えない。
 
プロフィール
 ただき・りつこ 福島県福島市出身。1976年4月生まれ。HAPPY DESⅠGN代表。名刺、チラシ、ポスター、パンフレット、ロゴ、看板など多方面で活躍している。
 問い合わせは、happydesign@gmail.comまで。

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