平成12(2000)年夏、石垣島。
24歳、職なし。
握りしめた10万円。
笑顔。
強い意志。
そこから始めた。
街中の看板、旅行パンフレット、居酒屋のメニュー、包装紙…。
どこで何を目にしても、常に考えてしまう。
パンフレットを目にすると、手当たり次第に持ち帰る。
「デジタルの広告はその場で見て終わりだが、紙は残るし、質感やそれ自体を感じたい」
実践を積み重ね、島の人たちに支えられてきた、24年間―。
昭和51(1976)年4月、福島県福島市に生まれた。
幼いころから絵を描くことが好きだった。
高校は地元の進学校に通った。
「絵で食べていく」
進路指導の先生に怒られた。
両親も反対。安定した公務員を勧めてきた。
だが、笑顔と意志の強さは変わらない。
2年間、仙台市の専門学校でグラフィックデザインを学んだ。
20歳、福島に戻って印刷会社に勤めた。
依頼を受け、想いをカタチにする。
先輩や仲間との厳しく、楽しい時間。
学んだ基礎を実践で試す日々を重ねた。
石垣島へは、その頃から。
これといった理由があったわけじゃない。
姉の新婚旅行先が石垣島だったこと。
南の島の温かさに憧れていたこと。
不思議な縁。
2000年夏。
仕事に区切りをつけ、島へ移り住んだ。
24歳、無職。
あったのは10万円と笑顔と強い意志。
1週間で職を見つけ、デザインTシャツ店や広告代理店などで10年以上、実践を積み重ねた。
転機は、平成23(2011)年11月。
日々向き合う1つひとつの仕事、デザインで喜んでくれる人の笑顔、とは別の、大きな成果が訪れた。
新石垣空港のマスコットキャラクター「ぱいーぐる」(現・石垣市公認マスコットキャラクター)を生み出した。
同年、忘れるわけもない。
3月11日、東日本大震災。
沈む気持ち。
応募にはそれほど気が乗っていなかった。
「応募したらいいじゃない」
勧めたのは、絵で食べていくことに反対していた両親だった。
震災の影響で、島に避難していた。
「やってみようか」
採用は望外だった。
がそれ以上に、採用の表彰を、両親の目の前で受けられたことが望外だった。
「デザイン、ずっとやってて良かったね」
初めて、認めてくれた気がした。
「HAPPY DESⅠGN(ハッピーデザイン)」として独立。
ぱいーぐる生みの親として認知され、依頼が舞い込んだ。
チラシ、パンフ、カードなどの仕事を通じて、島の人とのつながりを大切にしてきた。
実力は増すばかり。
今年は、4月11日開催予定の「石垣島トライアスロン大会2021」のポスターデザインを手掛けている。
石垣島に移住した日から、21年。
デザインの仕事、24年。
「デザインの力で石垣島を明るく盛り上げていきたい」
依頼を受け、想いプラスα(アルファ)をカタチにする。
「これからも、印象に残るもの、ワクワクするもの、ぷっと笑っちゃうものを、たくさん創っていく」
笑顔と強い意志。
そして、〝おもしろ楽しい〟こと。
原動力も増すばかり。
* * * *
「古臭い」と言われたらダメ―。
流行り廃りの激しい世界で生きている。
無限に存在するデザイン。
ユーモアと楽しさを追い求める学びは絶えない。
プロフィール
ただき・りつこ 福島県福島市出身。1976年4月生まれ。HAPPY DESⅠGN代表。名刺、チラシ、ポスター、パンフレット、ロゴ、看板など多方面で活躍している。
問い合わせは、happydesign@gmail.comまで。