長崎純心大の石井望准教授が9日、県庁で記者会見し、琉球国最後の国王、尚泰が琉球国存続のため、当時の清国に密書を送って援軍の派遣を要請したとする説について「尚泰王は援軍要請はしていない。(尚泰が書いたとされる)3通の密書は、すべて偽造の痕跡がある」と指摘した。
石井氏によると、中国メディアによって「尚泰が清国に密使を派遣し、援軍派遣を要請した」とするイメージが流布されている。
また、玉城デニー知事は訪中の際、琉球国への支援を求めて清国に脱出した琉球人の墓地を訪れた。このため「尚泰の密書」の件も含め、中国が今後「琉球は日本に弾圧された」という宣伝戦を活発化させる可能性が危ぐされている。
石井氏はこの日の記者会見で、中国側のプロパガンダに反論した形だ。
「密書」は尚泰の名義で、明治9(1976)~12(79)年にかけて作成されたとされる。
石井氏は➀尚泰は明治5年に天皇から琉球藩王に任命され、明治7年に盛大な祝宴を開くなどして喜んでいるが「密書」には強制的に藩王にされたと記され、矛盾している➁「密書」にも具体的な援軍要請は記されていない➂尚泰の孫が「密書」は偽造と書き残している―と説明。
「密書」は尚泰とは無関係に、琉球の不平士族が勝手に作成したものと結論づけた。
琉球国がしばしば「日清両属だった」と言われることについても、清国が「属国」と位置付ける国はいずれも制度上で実際の統治が及ばないことが基準となっていると強調。琉球国が清国に服属した歴史的事実はないとした。
玉城知事が中国にある琉球人の墓地を訪れたことに対しては、琉球国の存続のため清国に援軍を要請することは現代の外患誘致罪に相当するとして「外患誘致に正当性があるようなイメージが知事の周辺に垣間見える。これが知事の本意であってはならない」とくぎを刺した。