2カ月前に89歳で旅立った母が話していた唯一の戦争体験がある。1944年8月、多数の児童を乗せ、那覇から九州に向かった疎開船「対馬丸」と同時に出港した別の疎開船に、母も乗船していたのだ◆夜中に衝撃音を聞き、翌朝、甲板に行くと、乗船者たちが「一緒にいた船が撃沈された」と口々に話すのを聞いた。母はあとから対馬丸の事件を知り「あの船がそうだったのか」と思い当たったという。テレビで対馬丸のニュースが流れるたび「あの船の近くにいた」「戦争は絶対に起こしてはいけない」と話すのが常だった◆米軍の標的が近くの船だったら、母は海の藻屑(もくず)となり、当然、その子も生まれることはなかった。昭和40年代に生まれた自分は戦争とは無縁の世代だと思いこんでいたが、母の体験談を聞き、実は自分も戦争の生き残りなのだ、と納得した。その意味では今を生きる世代の全員が、戦争をくぐり抜けて生き抜いた祖先から、命のバトンを受け継いでいる◆戦争の悲惨さ、愚かさを身をもって体験した昭和一桁生まれの世代が今、次々と世を去っている◆時の流れは不可抗力だが、歴史の風化や忘却が悲劇の再来につながってはならない。「語り継ぐ」大切さを、改めて胸に刻む。78回目の終戦の日と、母の新盆を前に。