清国へ「支援要請」の密書発見 尚泰王、石井氏が偽造と指摘

英字紙『セレスチャル・エンパイア』(ロンドン大学 SOAS Per 24L 244297)(石井氏提供)

 玉城デニー県知事が7月に北京で琉球人墓地を訪れて以来、中国国内などで尚泰王が清国に密書を送って日本討伐を要請したかのような情報が広まっているが、これを偽造とする長崎純心大学の石井望准教授がこのほど、該当する密書の英文を発見した。1879(明治12)年8月19日付の上海の英字紙「セレスチャル・エンパイア」に掲載されていた。
 石井氏によると、今月5日、ロンドン大学オリエントアフリカ学院図書館を調査した際、1878(明治11)年末に尚泰王が記した密書とされる文面を掲載した記事を発見した。
 密書の中で尚泰王はそれまで薩摩に属していた琉球国が明治5年に直属琉球藩に昇格したことについて「日清両国の王爵を兼ねるのは道理に反し、明治政府に強制された」として、清国に対する忠誠を訴えている。
 石井氏は「この文面は琉球不平士族が日本の統治そのものを全面否定しようとした思想と全く同じであり、尚泰王の本意としてあり得ない」と指摘。その証拠として、尚泰王が1874(明治7)年正月に首里で大宴会を催し、琉球藩昇格を慶賀したことを挙げた。
 1878(明治11)年春に琉球側は西洋列強に干渉を要請したため、明治政府が琉球側にその意図を問い合わせたところ、尚泰家臣与那原良傑は1879(明治12)年8月14日返答書で、尚泰王の預かり知らぬこととした。当時の政府側文書「第三回奉使琉球始末」に記録されている。
 石井氏は「同時期の明治11年末の密書で尚泰王が日本統治を全面否定した可能性は考えにくく、不平士族による偽造にほかならない」と話した。
 石井氏は他の尖閣琉球史料も英国で確認しており、今後各種メディアを通じて公表するとしている。

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