―2013年1月、当時那覇市長だった翁長雄志氏が中心になり、県内41市町村の代表が安倍晋三首相に建白書を提出し、普天間飛行場の県内移設反対などを訴えた。翁長氏は建白書を安倍首相に渡したあと、銀座でデモをしたが、沖縄に対するヘイトスピーチに遭い、辺野古移設反対の闘争に突入する決意を固めたと自ら言っている。
「私は後付けの理由だと思う。翁長氏は那覇市議、県議、那覇市長をやったベテランの保守政治家だ。当時、ヘイトスピーチ集団の活動が社会問題化していたこともあり、銀座でデモをすれば、彼らのヘイト妨害活動に遭うのは百も承知だったはずだ」
「安倍首相は建白書を持参した翁長氏に会う予定はなかった。だが翁長氏は『どうしても会わせてほしい』と自民県連に頼んできた。私は当時まで、翁長氏を信頼していたので、首相と会えるよう努力した」
―「オール沖縄」誕生後、沖縄の選挙は、ことごとく辺野古移設の是非を問うワンイシューの選挙になってしまう。
「言うまでもなく、普天間飛行場問題の原点は『一日も早い危険性の除去』にあった。国と合意した大田昌秀知事は『県内移設』を容認していた。しかし工法問題に時間が取られ、基地反対運動に利用され、政治問題化してしまった」
「日米両政府は、嘉手納以南の基地返還で合意した。その後、辺野古反対のワンイシューになる選挙が繰り返された。大田知事は、沖縄の基地問題は辺野古だけではないと主張し、自身が策定した基地返還アクションプログラムの構想に反して基地問題を辺野古のワンイシューに矮小化した翁長氏のことを信頼していなかったようだ」
「結局のところ『腹八分論』でまとめた『オール沖縄』の実態は、譲ったのは保守側だけで、革新側は無傷だった」(続く)