【視点】高まる防災意識 進まぬ対策も

 津波に街が吞み込まれる光景をテレビで見て、反射的に「明和の大津波もこうだったのか」と思った。東日本大震災は、八重山の人々が語り継いできた大災害のトラウマを再び目覚めさせた。
 あれから14年経った現在も、私たちは東北の大震災と八重山の島々で起きた明和の大津波をパラレルに受け止め続けている。つまり、同じ事態は今、私たちが住むこの島々でも常に起こり得る、という認識を持っている。
 東日本大震災を機に、八重山でも防災意識が格段に高まった。石垣市は明和の大津波があった4月24日を「防災の日」と位置づけ、同日などを中心に津波襲来を意識した訓練を毎年実施している。
 大震災後、石垣市、竹富町、与那国町とも庁舎の建て替え構想が進んだが、既に完成した石垣市、竹富町の庁舎を見ても、石垣市は津波の影響が少ない高台の旧空港跡地を建設位置として選択。竹富町は沿岸部の美崎町に新庁舎を建設したが、緊急時は避難可能な高層ビルの構造とした。
 石垣市全体の防災計画とは別に、地域ごとの防災計画を策定する動きも始まり、今年度は白保をモデル地区とする内閣府の事業が導入され、住民がワークショップを通じて防災を考えるユニークな取り組みが進んだ。
 各地の電柱には、この場所の海抜を記載した表示が至るところにある。行政にせよ民間にせよ、今やどのようなプロジェクトも、防災を抜きには語れないと思えるほどだ。
 これほど住民の意識が高まっても、現実にはなかなか解消が進まない課題もある。沿岸部から高台への集落移転、避難道の整備、津波警報の発令時に浮き彫りになった、高台への避難ルートが大混雑する現状。さらには弱者や観光客の誘導など、まだまだ対策は万全とは言えない。
 空港、港湾が被害を受ければ、離島は孤立化せざるを得ない。沖縄本島や本土からの救援受け入れ体制が常に整っているとは限らない。救援物資の補給がない状況が一定期間続くことを想定する必要がある。特に八重山で、備蓄の重要性が指摘されるゆえんだ。
 家庭でできる防災対策も見直したい。大震災の教訓として八重山でも何度も繰り返されたのは、津波が襲来したら、何も考えずに高台に逃げることだ。東北の言い伝えとされる「津波てんでんこ」という言葉も、そういう意味だ。
 石垣市では、先日の津波警報時には多くの市民が一斉にバンナ公園に向かったが、大混雑が起こりそうであれば近くの津波避難ビルに向かうなど、万一の避難手順をあらかじめ頭に入れるようにしたい。
 避難後の連絡方法を家族と打ち合わせておくこと、家庭に避難用グッズを常備することなど、大震災直後から何度も言われてきたことを再確認することも大事だ。
 考古学的調査では、明和の大津波以前から八重山には繰り返し大津波が襲来してきた可能性が指摘されている。「3・11」「4・24」は八重山の人たちがこの先もこの島で生活を続けるため、脳裏に刻み付けなくてはならない数字である。

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