長崎純心大の石井望准教授が22日、那覇市の久米孔子廟内にある明倫堂で「日本と琉球国」をテーマに講演。日本の飛鳥時代に当たる中国・隋代の歴史を扱った「隋書」に尖閣諸島と思われる島の名前が出現することを紹介。琉球人がこの時代、既に東南アジアまで進出して交易を行っていた、と推測した。
石井氏によると「隋書」には610年、隋の将軍・陳稜が約1カ月かけて琉球に遠征後、商人による交易を装って琉球人をだまし討ちし、多数を殺害したとの記述がある。
石井氏は、陳稜が琉球に至るまでの間に経由した地名「高華嶼」「句鼊嶼」を、漢字の古い読み方から「コエ島」「コバ島」と読み、それぞれ台湾・基隆と尖閣諸島・久場島を指すと解釈。
その上で①琉球人から聞かないと尖閣諸島の名前が分かるはずはなく、久場島の名前を教えた琉球人が水先案内人として陳稜に同行していたと思われる②「隋書」には、陳稜は琉球語を解する東南アジア人も連れていたと明記されている―と強調した。
これらを根拠に「琉球人と接触していないと、東南アジア人が琉球語を分かるのはおかしい。東南アジアで貿易をする琉球人が飛鳥時代に存在していた。陳稜が来た時、琉球側は貿易に来たと思い、警戒心を解いて、だまし討ちにあった」と推理を展開した。
このほか、漢字の古い読み方をもとに、源為朝の子とされる舜天王の子孫が実在した可能性が高く、舜天王が運天港に上陸した伝説の信ぴょう性も高まったと主張した。琉球と内地の神道が同源であるとの考えも示した。
講演会は久米崇聖会が主催した。