米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、石垣市議会は17日、県議会に上程されている県民投票条例案に反対する意見書を賛成多数で可決した。県内初だという。日本の安全保障政策を、一自治体の住民が多数決で左右することはできない。県民投票の意義は極めて薄く、石垣市議会の意見書は妥当な内容だ。今後、署名活動が始まると見られる石垣島への陸上自衛隊配備計画を問う住民投票に関しても、同じことが言える。
一般的に、住民(県民)投票は、住民生活に関し、地域で完結可能な問題について行われる。直近の例としては、石垣市が建設予定の新庁舎建設位置を問う住民投票を実施した。新庁舎をどこに建設するかは、その地域に限定的な問題であり、県や国は関係ない。地域住民の多数決で決めても、問題が起きるとは考えにくい。
辺野古移設や、宮古島、石垣島への自衛隊配備の是非は安全保障問題であり、全く性質が異なる。その影響は対象となっている地域を越え、国全体に及ぶ。県民投票の結果、政治家が判断を誤り、国の命運に影響が及ぶことがあっても、多数決した沖縄県民が、全国民に対して責任を負うことはできない。安全保障問題が「住民投票にそぐわない」と言われるのは、そうした理由からだ。
安全保障問題の責任を負うのは、選挙を経て国民の信託を受けた政治家だ。国民が安全保障問題を問いたいのであれば、それを争点にした選挙で有権者が候補者に票を投じることが日本の民主主義の原則である。もとより地域に限定的な問題であっても、住民投票の結果にかかわらず、最終的に決断を下すのは政治家だ。
今回の県民投票は前提が間違っている上、そもそも趣旨がよく分からない。県民の意思を明確にするというのであれば、9月の知事選で辺野古移設が争点になっており、反対派の玉城デニー知事が誕生した。それで必要十分ではないのか。
県民投票の結果を政府に押し付けるというのであれば、選挙を通じて民意を実現するという民主主義の手続きを逸脱する。
石垣市議会の意見書は、県民投票が「一定の政治的主義主張を公費を使用して訴えるものとなっている」と批判するが、5億5千万円という費用を考えれば、税金の無駄遣いという指摘が出るのも当然だ。
県民投票条例を審議した県議会米軍基地関係特別委員会でも、自民党の県議から疑問の声が相次いだ。