【視点】明治改元150年 沖縄の歩み

 現在に至る過程で沖縄は多大な苦難を強いられたが、日本本土の住民が歩んだ道のりも、決して平坦なものではなかった。第二次大戦による沖縄の戦禍は筆舌に尽くし難いが、戦災地は沖縄だけではない。沖縄を明治維新の被害者だったと規定する史観は、同胞である本土の人々の苦しみを思いやる気持ちに欠け、ご都合主義ですらある。こうした意見が、あたかも沖縄を代表する声のように発信されるのは残念なことだ。
 沖縄をめぐる貴重な歴史の教訓がある。日清戦争(1894~95年)前に、沖縄本島を日本に、宮古・八重山を中国に分割し、日中双方の領土を確定させる動きがあったことだ。それが実現していれば、石垣市も尖閣諸島も現在、中国領であり、ひいては中国が広大な東シナ海の制海権を手にしていた可能性もある。そうなれば沖縄を取り巻く国際情勢は、現在とは大きく異なっていただろう。
 小さな島々の帰属が、百年後の日本や中国の運命を決定的に変えたかも知れないのである。先島分割が行われなかったのは、いわば偶然に過ぎない。たとえわずかな面積であっても、領土・領海を守ることは、国にとって最優先の責務であることを教えてくれる。
 「西郷どん」でも描かれる明治維新の主役たちからは、一身を犠牲にしてでも国の行き詰まりを打開し、列国と堂々と対峙できる新体制を建設しようとする若々しい意気込みが感じられる。その生涯は死ぬまで危機の連続だったが、私たちが享受する平和と自由と豊かさは、先人たちの苦闘の賜物(たまもの)だ。
 私たちも次世代に責任がある。現状に安閑としてはいられないという気持ちになる。

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