太平洋戦争末期、石垣島に不時着した連合軍の米兵3人を旧日本海軍警備隊が殺害した、いわゆる石垣島事件で亡くなった3人の慰霊祭が殺害された日である4月15日、唐人墓隣の米軍飛行士慰霊碑前でしめやかに執り行われた。中山義隆市長、平良秀之議長や関係者らが花をたむけ、戦争の悲惨さを繰り返さないと祈りを捧げた。
同慰霊碑建立期成会の識名安信会長代行は「悲しい歴史を風化させてはいけない。後世に伝え継いでいくのが責務」とあいさつ。慰霊祭では神父が祈りの言葉を述べ、アメリカ国歌斉唱後、故人をしのび1分間黙とうした。
中山市長は「事件から50数年たって慰霊碑が建てられ、こうして慰霊祭ができることは意義深い。犠牲になった御霊をこれからも見守り続けたい」と話した。
平良議長は「国籍や人種関係なく多くの人が犠牲になった。平で生命の尊厳ある時代を後世に伝えていきたい」と述べた。この日参列した約20人が花をたむけ手を合わせた。
この慰霊祭を通して識名氏は「この事件をきっかけに平和について考える機会にし、石垣から発信したい」と話し、来年は事件から75周年目となることから「米国の関係者を呼んで慰霊祭を行いたい」と述べた。
慰霊碑は2001年に建立され、慰霊祭は今年で18回目。