日本トランスオーシャン航空(JTA)の代表取締役を退く丸川潔社長が14日午後、退任あいさつのため八重山日報社を訪れ、入社時から現職に至る経緯を振り返りつつ、思いを話した。
丸川社長は1985年に日本航空(JAL)に入社。4か月後にはJAL123便墜落事故が起こる。「安全に関わる十字架を背負っている。残酷なまでに会社の責任を痛感した」と振り返る。「現場を知らない人はどうしても危機感が薄れやすい」として、就任の5年間でJTA社員のほぼ全員に御巣鷹山の現場を訪れさせた。
2010年、JALは経営破綻(はたん)し、佐藤学前JTA社長が「痛みを伴う整理」を実行、受け継いだ。「沖縄経済が伸びてきたごろだったので順調に航空機材更新も終えられ、財務的にも健全な状態に。地元やご利用いただいた皆様のお陰であり、本当にラッキーだった」と笑顔。
14年にJTA社長に就任したが、「私は土台。一人ひとりの社員が幸せであることが全て。全員がモチベーションをもって仕事できるよう環境整備をしてきただけ」と穏やかに話した。
18年には企業価値向上や地域との連携などの強化を図る「価値創造推進部」を立ち上げた。世界自然遺産登録について、「登録は沖縄、そして世界の財産として認めてもらうこと。企業として関われないのは社会的存在意義を失うことに等しい。企業間で連携することの重要性を県全体で共有したい」と強調した。
退くに当たり、「会社をここまで育てて頂いた皆様への感謝の一言に尽きる」とあいさつ。6月からはJALグループの航空関連商社「㈱JALUX」の代表取締役副社長執行役員に就任する予定。