名護市長選で、自民、公明が推薦する新人の渡具知武豊氏が現職、稲嶺進氏を破って初当選を果たした。渡具知氏は8日の市長就任式で「『輝く名護市』の実現に向けて共に頑張っていこう」と職員に呼び掛け、新たなまちづくりに意欲を示した。辺野古移設をめぐる市民の「分断」克服の決意も語っており、反基地のイデオロギー闘争に終始した前市政とは一線を画す考えだ。新市長の手腕に期待したい。
渡具知氏の勝因は、有権者に夢のある新生名護市のビジョンを示したことだ。子育て支援策を政策の柱に据え、子ども医療費、給食費、保育料の無料化を訴えた。ごみの分別が煩雑すぎるとして、身近な生活の問題にも目を向けた。
米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する稲嶺市政が、基地再編に向けた国の交付金を拒否しているため、100億円以上の損失が発生していると厳しく批判。稲嶺氏と対照的に、国と連携できる政治家として自身を強くアピールした。
対する稲嶺氏は「辺野古新基地ができるとオスプレイが百機配備される」などと、基地問題に絡み、市民を恫喝するような物言いが目立った。
辺野古移設反対の姿勢は鮮明だが、基地問題に政策の重点を置き過ぎ、どのように地域振興を進めていくのかが見えづらかった。渡具知氏が辺野古移設の是非に触れないことを批判しながら、稲嶺氏自身も名護市民の率直な疑問に答えることができなかった。経済政策としてパンダ誘致を打ち出したのはいかにも唐突で、選挙戦略としては逆効果だったとさえ思える。
市民に夢や希望を語った渡具知氏と、恐怖を語った稲嶺氏。その明暗が勝敗を分けたのではないか。
辺野古移設が唯一の争点であるかのような報道も目立ったが、実際には、移設は数ある争点の一つだった。市長選は辺野古移設の市民投票ではないからだ。市民は市政の課題を多角的に捉え、バランスの取れた判断をしたということだろう。
昨年10月の衆院選では、沖縄4区で辺野古移設を容認する西銘恒三郎氏が勝利した。2014年の知事選以来、国政選挙で辺野古容認の候補が当選するのは初めてで「オール沖縄」に風穴が開いた出来事だった。名護市長選も、こうした流れの延長線上にある。イデオロギー的な反基地運動が行き詰まりつつあることを示しているのだ。
「辺野古反対」だけでは何の展望もなく、それを具体的な政策と呼ぶことはできない。基地反対を訴えるなら、同時に安全保障や地域振興にも責任を持つ姿勢を示してこそ説得力がある。
しかし「オール沖縄」勢力は、そこを決定的に欠く。「辺野古反対」を県政の柱に据えるとさえ公言する翁長雄志知事の政治姿勢を、重ねて疑問視せざるを得ない。
今選挙がもたらした重要な影響は、辺野古移設の当事者である宜野湾市、名護市がともに保守市政となり、移設を推進する安倍政権との連携が強化されたことだ。安全保障、基地負担軽減、地域振興のすべてを両立させることを目指す政権の姿勢が、市民から一定の評価を得た。
辺野古移設はあくまで宜野湾市民の負担軽減策だ。その原点に改めて立ち返り、着実に移設工事を進展させ、普天間飛行場の早期撤去を実現する必要がある。