太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民への配慮を求める電文を中央へ送った日本海軍の大田実司令官ら幹部が自決してから74年となった13日、豊見城市の旧司令部壕で慰霊祭が営まれた。県内外の遺族ら約150人が黙とうし、花を手向けて不戦を誓った。
大田司令官は1945年6月6日、米軍の猛攻下で海軍次官へ「沖縄県民斯かク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜(たまわ)ランコトヲ」と打電。同13日、司令部壕で将校らと命を絶った。
慰霊祭では、近くの宇栄原小学校6年生の児童が「命と平和への強い願い、決して忘れてはいけない。語り継がねばならない」と詩を朗読した。
大田司令官の四男で横浜市在住の大田豊さん(74)は、孫やひ孫と共に参列。「父に会ったことはないが、沖縄の人たちの真摯(しんし)な態度に感動して電文を打ったのではないか。平和が続くよう努めなければいけない」と思いをはせた。
参列者が献花し、焼香した。