第二次世界大戦中に波照間島から西表島に強制疎開させられ、戦争マラリアで亡くなった人たちを追悼しようと、八重山戦争マラリア遺族会(佐久川勲会長)が25日午前、西表島南風見田浜にある忘勿石之碑前で追悼式を行なった。遺族会は毎年6月23日に石垣市バンナ公園にある八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑で追悼式を行なっているが、忘勿石之碑前での追悼式は初めて。
この日は遺族会の佐久川会長(79)、東宇里永清副会長、田本徹顧問、唐眞盛充事務局長の4人が同会を代表して訪れ、花と線香を供え、黙祷を捧げた。
田本顧問は自身で作詞・作曲した「忘勿石鎮魂歌」を捧げ、佐久川会長が「無念の死を遂げられた犠牲者の御霊が安らかな眠りに就かれるよう、心からお祈りいたします」と追悼の辞を述べた。
追悼式後は佐久川会長が古見小学校(赤嶺智郎校長)で、自身の体験に基づく戦争マラリアの講話を行なった。
全ての日程を終えた佐久川会長は「碑の前にたたずむと胸がいっぱいになった。碑の前で行なうという念願が叶って何より。後世にどう繋げていくかが課題」と話した。
「八重山戦争マラリア」では3647人が死亡。南風見田浜に疎開した波照間島の住民らは同地で85人が、終戦して引き上げたあと波照間島で500人余りが亡くなっている。
「忘勿石」は当時の波照間国民学校の故・識名信升校長が、悲劇を忘れるなかれと同浜の石に刻んだ言葉で、1992年に碑が建立された。