劇場版『鬼滅の刃』が話題だ。鬼と化した妹を人間に戻すべく、主人公・竈戸炭治郎が「哀しき」鬼たちとの死戦を潜り抜ける◆なぜ自分を愛してくれないのか、認めてくれないのか…。人間だった鬼たちは利己心をこじらせ、良心の呵責に耐えきれずに鬼へと堕している。炭治郎は人喰い鬼を斬りながらも、その哀しさを嗅ぎ分け、祈る。「今度生まれてくる時は、鬼になりませんように」―◆毅然と戦いつつ決して真心を失わぬ炭治郎は、乱世を生きた中国古代の哲人・老子を連想させる。老子は争いを最も忌み嫌った。しかし戦乱の世に軍備無用を説くことは現実逃避に過ぎない。戦わざるを得ない時は決然と戦うも、利己心に溺れ好戦的になることを厳に戒める◆「武器は不吉な道具である。やむを得ず使用しなければならぬ時は敵意を持たず、私利私欲に惑わされずに使うのが道に適う武器の使い方である。戦い自体が道に外れる。勝利を得ても立派ではなく、勝利の祝宴で得意になるのは人殺しを楽しむに等しい」(上篇31)―。戦いに勝てば葬儀の礼式での対処を、と説く◆人は弱い。誰しもが鬼に堕する可能性がある。利己心に支配され、いっそ現実から目を背けてしまおうとする。何を相手とし、どう向き合うか。改めて問いたい。(S)