【視点】テロ行為容認の風潮許すな

 知事選の街頭演説をしていた自民、公明推薦の佐喜真淳氏に、女性が銃弾のようなものを投げつける事件が起きた。けが人はなく、女性はその場で取り押さえられた。
 一報を聞き、とっさに先月の安倍晋三元首相銃撃事件を思い出した。選挙運動中の政治家を襲う行為は、紛れもないテロだ。現在の日本で、このような事件が続発する現状を深刻に受け止めなくてはならない。
 女性はこの行為について、世界自然遺産である米軍北部訓練場の返還区域に米軍廃棄物が残されていることへの抗議と、周知が目的だとしている。投げつけたものは米軍廃棄物だという。
 「この行為が暴力で、自民党の沖縄に対する仕打ちは暴力でないと言えるのか」という趣旨の主張もしている。暴力を正当化するような発言であり、全く納得できない。
 安倍元首相の銃撃事件に関し、SNSでは「政治家と旧統一教会との癒着をあばくきっかけになった」「時には暴力が世の中を動かすこともある」と、容疑者を擁護するような書き込みが氾濫している。こうした風潮に、女性が触発された可能性も大いに考えられるのではないか。
 安倍氏銃撃事件は民主主義への挑戦だ。だが容疑者の動機は旧統一教会への恨みであり、民主主義とは関係ないという意見もある。
 だが元首相であり、自民党最大派閥の長として大きな発言力を持っていた安倍氏は、殺害されたことによって二度と政治的な意見を表明することができなくなった。容疑者の個人的な動機がどうあれ、政治に影響を与えようとする一つの言論が暴力で封じられる結果になったことは、誰の目にも明らかだ。これを民主主義の破壊行為と呼ぶのである。
 しかも容疑者は選挙期間中、政治家が大勢の聴衆の前に身をさらす機会を狙った。仮に安倍氏が独裁国家の指導者であれば、街頭演説などする必要はなく、あのような最期を遂げることはなかったかも知れない。その意味で犯行は民主主義の弱点を狙ったものであり、だからこそ卑劣と呼ばれる。
 佐喜真氏を攻撃した今回の行為も、本質は全く同じだ。言論の自由が認められている民主主義社会で「ほかに訴える方法がなかった」という言い訳は通用しない。動機が何であれ、また実害の有無がどうあれ、テロはテロである。安倍氏の事件をきっかけに生まれている、テロを容認するような風潮は断じて認められない。
 佐喜真氏が「暴力には屈しない」という声明を出したのは当然だ。知事選に立候補している下地幹郎氏、玉城デニー氏も、暴力行為に情状酌量の余地はないことを明確にしてほしい。
 沖縄の米軍基地負担軽減は喫緊の課題であり、県民に根強い反基地感情が存在することは事実だ。だが女性が米軍基地の被害を訴えたことをもって、この行為の免罪符を得るような雰囲気を決してつくってはならない。

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