戦後80年の節目に合わせ、天皇・皇后両陛下と長女愛子さまが4、5の両日、沖縄を訪問された。
天皇・皇后両陛下の訪問を「行幸啓」という。天皇陛下の沖縄訪問は皇太子時代を含め7回目、天皇・皇后両陛下での沖縄訪問は2回目、愛子さまの沖縄訪問は初めてとなる。
今回は「ありったけの地獄を集めた」とも形容される熾烈な沖縄戦で犠牲になった人たちを慰霊する旅だ。
それは沖縄戦の悲劇を国家として永久に記憶に刻むという意思表示にほかならない。皇室が沖縄に寄り添い続ける決意の表れでもある。
先の大戦で膨大な犠牲を払った沖縄県民の中には、戦時の君主だった昭和天皇に対し複雑な思いを持つ人も少なくない。戦後、共産主義勢力の伸長を懸念した昭和天皇が米国に対し、日本の主権を残したまま沖縄を長期租借するよう提案した「天皇メッセージ」が明らかになり、県民に波紋を呼び起こした。昭和天皇は沖縄訪問を熱望していたとされるが、病気のため生前、ついに沖縄の地を踏むことはなかった。
昭和天皇の無念を晴らすように、上皇陛下は沖縄を11回訪問し、国境の島である与那国町や石垣市にも足を運んだ。
皇太子時代には訪問先で過激派に火炎瓶を投げつけられる事件も起きたが、訪問回数が重なるうち、上皇陛下の強い思いと、時代の変化や世代交代があいまって、平成の時代には県民の皇室に対する感情は大きく好転した。
今回の天皇ご一家の沖縄訪問では、沿道に日の丸の小旗を持った大勢の人たちが集まり、移動するご一家の車に手を振った。那覇市で開かれた提灯奉迎のイベントには主催者発表で約5000人が参加。県警によると、5日の奉迎者数は1万3000人に達した。
一般の県民レベルでも、皇室に対する敬愛の情が高まっていることをうかがわせる。
国立沖縄戦没者墓苑などでは、沖縄戦遺族や語り部たちの話に熱心な表情で耳を傾けるご一家の姿が印象的だった。
令和の今、沖縄にとって天皇の存在が、沖縄戦の記憶というトラウマの「癒やし」となる時代に入ったことを強く感じさせる。
沖縄では、かつての上皇ご夫妻に続き、天皇ご一家も対馬丸事件の慰霊碑や記念館を訪問された。上皇陛下は、自らと同世代の学童約1500人が犠牲になった対馬丸事件に強い関心を寄せられたことで知られる。天皇ご一家も上皇の思いを受け継がれている。
天皇陛下の強い意向で、愛子さまが同行されたことも意義深い。皇室が世代を超え、沖縄戦の記憶を継承していくことは、沖縄の平和を守り続けるという決意を全国民が共有することでもある。