【視点】復帰52年 先人の労苦に思い馳せ

 沖縄は15日、52回目の復帰記念日を迎えた。27年間の米軍統治に苦吟した沖縄は、今や日本有数のリゾート地として、活力あふれる島々に成長している。
 現在の基礎を築いた先人たちの労苦に思いを馳せ、どうすればその恩に報い、豊かな沖縄をつくることができるか、改めて考える一日にしたい。
 沖縄は1972年の復帰前まで、第二次大戦で日本から米軍に「奪われた」領土だった。かつて琉球王国として、日本本土とは異なる歴史を刻んだこともあり、県民は長くアイデンティティの確立に悩んだ。
 復帰前後までに生まれた世代であれば「自分は日本人なのか」という迷いを持った経験に共感してもらえるかも知れない。本土に対するコンプレックスもあった。
 本土から沖縄に対する根強い差別意識も存在した。復帰前、本土で生活した先人たちは「沖縄出身」というだけで外国人扱いされたり、不利益な待遇を受けた経験を今でも話してくれる。実際に当時の県民は、パスポートを持って沖縄から本土に渡航していた。
 現在、基地問題で「沖縄は差別されている」という主張がある。だが、沖縄に対するほんものの民族差別が本土で行われていたことこそ、忘れてはならない事実である。現在の安易な「差別」主張は、歴史的に実在した差別を矮小化するものだ。
 そうした厳しい状況にありながら、先人たちは復帰実現のため尽力し、復帰後は本土との格差是正に奔走した。
 先人たちの努力と政府の莫大な振興予算投入で、沖縄は飛躍的な経済発展を遂げた。現在の若者に「自分は日本人なのか」という迷いは微塵(みじん)も感じられない。劣等感もない。むしろ本土に対し「ウチナーンチュ」としての誇りをもって向き合っている。
 それはもちろん、沖縄が日本に同化されたという意味ではなく、日本という確固とした基盤を得て、沖縄の能力が大きく花開いたということである。
 米軍基地の負担軽減は復帰前から現在まで持ち越された最大の課題だ。本土住民は同胞の苦しみを無視すべきではないし、この問題は日本全体で解決を図らなくてはならない。
 一方で米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設は、まさに基地負担の軽減を目的に、政府が進めている事業である。それが新たな基地負担と混同されてしまったことが「オール沖縄」勢力誕生以来、10年も続く沖縄と政府の対立、さらには県民の分断を招いた。
 辺野古移設問題が政争の具と化していないか。「政府が移設を強行」と批判するだけではなく、私たち県民自身が反省すべき点だ。
 八重山、宮古の自衛隊配備など、沖縄で急速に進む防衛力強化が「南西シフト」として近年の注目すべき動きとなっている。
 基地反対派から非難の声もある。だが、これが「戦争につながる」とか「日本が平和的路線を放棄した」とは1㍉も感じられない。
 私たちが脅威に感じるのは、尖閣諸島周辺の領海を踏み荒らして八重山の漁業者を威嚇し、台湾への侵攻をうかがうアジアの超大国・中国の動きである。日本はその動きに反応して守りを固めているに過ぎない。
 むしろ、こうした国際環境下で政府が何もしなければ、それこそ国民を守る義務を放棄したことになるだろう。

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