【視点】「石破カラー」最後まで出ず

 石破茂首相が退陣を表明した。政権が短命に終わった大きな理由は、政権運営で「石破カラー」を十分に発揮できなかったことだ。

 昨年の就任直後に衆院を解散したものの衆院選で大敗し、自公は少数与党に転落して政策推進力を失った。法案成立に野党の協力が必要になり、国会運営で政策面での妥協を強いられた。

 首相は総裁選の時点では、野党との十分な政策論争を経た上で衆院を解散する意向を示していた。だが一方的に前言を翻し、勝利を焦って早々に解散を言明したことが不信を招き、つまづきの始まりになった。

 今年の参院選では物価高問題が最大の争点とされた。首相は経済対策として1人2万円の給付金を打ち出したものの、結果は消費税減税を訴える野党が躍進し、自公は参院でも過半数を割った。
 国民の生活苦を打開するため、一時的な給付より減税を望んでいた有権者の動向を見誤った。加えて石破政権の「リベラル色」が忌避され、従来の自民党支持層が参政党や国民民主党の支持に流れた。

 参院選後に首相への逆風が強まる中、野党支持者が官邸前で「石破辞めるなデモ」を行う珍現象も起きた。それこそ「自民党らしさ」を失った首相や政権の末路だったのかも知れない。

 首相にはかつて自ら掲げた政策を、周囲の反対を押し切ってでも断行しようとする気迫が最後まで見えなかった。典型的なのが、沖縄で行われた総裁選の演説会で主張していた日米地位協定の見直しだ。
 首相に就任したものの、実際に地位協定改定に手を付けようとする動きは一切なかった。かえってトランプ米政権との関税交渉などを巡り、米国の歓心を買うのに汲々(きゅうきゅう)とするような態度も見せた。

 その関税交渉では、演説で「(米国に)なめられてたまるか」と大見得を切った。だが世論の反応は冷淡で、ネットでは「なぜその言葉を中国に言えないのか」と揶揄(やゆ)された。
 尖閣諸島問題などで対中感情が悪化する中、中国人のビザ緩和など、対中融和的な態度が目立ったことも批判の的だった。

 在任期間が短かったこともあるが、国際会議などの舞台でも存在感が薄く、外交に活路を見出すこともできなかった。
 結局、首相は何をしたかったのか。政権運営で安全運転を心掛けるあまり、個性らしい個性を打ち出せなかった1年と言えるのかも知れない。

 政策論争を経た解散、大胆な減税、日米地位協定見直し、厳正な対中政策など、首相があえて手を付けず、曖昧にした政策こそ、有権者が首相に期待したものではなかったか。
  ◆  ◆  ◆  ◆
 憲政史上最長政権だった安倍晋三政権のあと、菅義偉政権が約1年、岸田文雄政権が約3年で、石破政権は約1年だった。
 5年で3人の首相が入れ替わり、日本政治は首相が猫の目のように変わる時代へ逆戻りした。
 さらに少数与党である自民党の次期総裁は、必ずしも首相の座が約束されない状況での船出になる。
 次期総裁には事態打開に向け、今こそ国民に向けた明確なビジョン提示と、強力なリーダーシップが求められている。

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