石垣島事件で亡くなった米兵3人を追悼する、米軍飛行士慰霊式典が15日、唐人墓東側の米軍飛行士慰霊碑前で開催された。中山義隆石垣市長はじめ、市関係者ら約15人が参加した。同式典を主催した㈱信用組の識名安信代表取締役は「今日は、米兵3人の76回目の命日。私たちは平和な時代を生きているが、先の大戦の記憶をいつまでも語り継がねばならない」と話した。
石垣島事件とは、第二次世界大戦中の1945年4月、石垣島に撃墜したアメリカ海軍航空隊の3人の搭乗員が、大日本帝国海軍警備隊の兵士らによって処刑された事件。
亡くなったのは、バーノン・ティポ中尉、ウォーレン・ロイド兵曹、ロバート・ダルク兵曹。
1948年に、事件に関わったとされる海軍警備隊の41人が、アメリカ軍横浜裁判で、絞首刑を宣告された(最終的に絞首刑が執行されたのは7人)。
中山市長は「先の大戦で、沖縄では23万の尊い命が失われた。戦争をいかなる理由でも起こさないという決意を、市としても推進していく」と決意。
この日は、在沖アメリカ総領事館のロバート・ケプキー総領事も来島予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響から、かなわなかった。代わりに、「日米関係に携わる米国の外交官として今まで以上に沖縄の方々と米国の友好親善と相互理解を一層深められるよう、努めていきたい」とケプキー総領事の追悼文が読み上げられた。
㈱信用組の識名代表は、アメリカ軍横浜裁判で、絞首刑を宣告された後、死刑が執行された7人のうち、下士官である藤中1等兵曹についても話した。
「藤中さんは、上官の命令で刺突し、極刑を言い渡された。亡くなった3人のアメリカ兵もさることながら、幼い子どもと奥さんがいた彼も、さぞかし無念だったと思う。藤中さんは、加害者であり被害者であったとも言える。憎しみが憎しみを生む戦争を、二度と起こしてはならない」(識名代表)。