【視点】有事の備え、防災と同様に

 「有事」とは戦争または戦闘状態であり「有事に備える」と言うと眉をひそめる人も多い。だが現在の沖縄を取り巻く国際情勢を考えると、台風や地震といった災害対策と同様に、住民レベルでも有事への備えを進めておくべきだ。石垣市が1日から住民避難に関する意見交換会を各地で開いたのは、市民に対する啓発としても意義が大きい。
 市は他国からの武力攻撃が予測される状況で、全住民や観光客を島外に避難させる案を提示した。政府は先島諸島住民の避難先を九州、山口の各県と想定しており、基本的には空路を使用する。市は最大で1日約1万人の輸送を目指す。
 住民避難というと80年前の沖縄戦時の「疎開」を想起し、拒否反応を示す人もいる。ただ当時の政府は軍事優先で住民保護の概念が薄く、高齢者や子どもの疎開が計画されたものの、十分には実行されなかった。その結果、特に沖縄本島では軍民混在の状況となり、日本兵だけでなく住民にも多数の犠牲が出る凄惨な状況となった。
 現在の国民保護計画や、それを具体化した住民避難計画は、まさに沖縄戦の教訓を生かすため立案されている。高齢者や子ども以外の県民には戦闘への協力を強制した往時とは異なり、全住民の避難が原則だ。シェルター設置計画も含め、住民からは一人の犠牲も出さないという国、自治体としての決意の表れである。
 綿密な住民避難計画を立て、有事に備える姿勢そのものが、侵略を企図する他国の抑止につながる。相手の準備不足につけ込むのが侵略の常套手段だからだ。有事を起こさないために有事に備えるということである。
 「軍隊は住民を守らない」という言葉は自衛隊配備に反対する人たちがよく使うが、有事に住民保護を担うのは自衛隊ではなく行政である。今回の意見交換会は、住民保護の責務を持つ石垣市が、本腰を入れてこの問題に取り組み始めたことを意味する。
 九州・山口の各県は政府の要請に応じ、九州地方知事会で先島諸島住民の受け入れを決めた。それぞれの知事のコメントからは戸惑いも感じられるが、受け入れに対する決意や使命感もうかがえ、私たちとしては率直に感謝したい。
 受け入れの準備は始まったばかりだ。細かいところまで詰め切れていないのは仕方がない。実際の避難すら、どこまで進むのか判然としない。避難計画は「机上の空論」という批判があることも、事実として受け止めなくてはならない。だが国民の生命や財産に責任を持つ国や自治体が、有事を想定したアクションを起こすこと自体に意味がある。
 有事の際は、全住民の避難が前提なのは当然だ。だが高齢者などは「島にとどまりたい」と要望するかも知れない。特に身寄りのいない人は、そう考えがちだろう。行政はどうケアしていくべきか。
 島から住民が消えるのは、自治体がゴーストタウン化することを意味する。そうした事態を見過ごせず「郷土防衛の捨て石になってもいい」という積極的な動機から、島に残る人が出る可能性もある。
 行政による保護を失ってもでも、とどまりたいという人を説得するのは困難だ。動機によっては国、自治体として、残留を容認する可能性も考えるべきかも知れない。

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