竹富町小浜島で生まれ育った慶田城ヒテさんは107歳。明治、大正、昭和、平成、そして令和という五つの時代を「自然体」で生きてきた。
明治45(1912)年3月10日、農家の四女として生を受けた。この年は日本が初めてオリンピックに参加した年で、7月に明治天皇が崩御され大正元年となった年だ。
20歳の時、小浜島で3つ年上の慶田城喜之助(きのすけ)さんと結婚。家業の農業と副業の機織りで生計を立て、息子2人、娘6人の計8人の小浜っ子を育て上げた。手先が器用で、子どもたちが各行事で身につけた着物はヒテさん自身が織った。機織りはカジマヤーの頃まで続けていた。
喜之助さんを70歳の時に亡くしてからは家で一人暮らしとなったが、島内外に住む息子・娘がたびたび訪れた。今では孫、ひ孫を合わせると80人ほどになるという。
80歳からは、2015年にメジャーデビューした、80歳以上の小浜島女性で構成される「KBG84~天国に一番近いアイドル~」の前身となる「小浜島ばぁちゃん合唱団」の初期メンバーとして中心的な役割も果たしてきた。
85歳で心筋梗塞のため倒れ、余命幾ばくもないとされながらも、回復。12年からは現在入居している石垣市宮良の指定介護老人福祉施設なごみの里(豊川善克施設長)で、最年長入居者として過ごしている。なごみの里の養護課長・黒島直人さんは「自分でご飯を残さず食べ、自分の意見をしっかり伝える人」と話した。
ヒテさんの次男・久(ひさし)さん(80)=字石垣=は「とにかく自然体で生きてきた人。記憶力も抜群で、尋常小学校時代に習った多くの童謡を100歳頃まで歌っていたほど。それを録音してCDにもまとめた」と話した。
ヒテさんに好きな食べ物について尋ねると、「何でも食べるさ~」と笑顔で答えた。