沖縄が日本に復帰する1カ月前の1972年4月、当時の琉球政府が、尖閣諸島のアホウドリを描いた切手を発行していた。当時の琉球郵政庁が「尖閣諸島が日本の領土であることを明示したい」という熱意から発行を計画。だが、中国、台湾を刺激することを嫌う日米両政府に配慮し、切手の図柄が尖閣諸島であることは極秘事項だった。切手発行の経緯を調査した尖閣諸島文献資料編纂会の國吉真古事務局長は「来年は切手発行から50年。この事実を改めて国民に知ってほしい」と訴える。
71年4月、琉球大学が結成した尖閣学術調査団は、尖閣諸島で絶滅したとされたアホウドリの繁殖を確認。国際的な話題になった。
当時、沖縄は日本復帰を控えていたが、中国、台湾が尖閣諸島の領有権主張を始めていたこともあり、琉球郵政庁は「独自の切手を発行する権限があるうちに尖閣諸島の切手を作りたい」と考えた。
だが、当時は沖縄を統治する米国政府が切手の図柄を厳しくチェックしており、日本政府も中国、台湾を刺激する行動には反対していた。尖閣切手発行計画が明るみに出れば、両政府から中止の圧力が掛かるのは明白だった。
このため琉球郵政庁の首脳らは「尖閣切手」を、復帰後に開催が決定していた海洋博の記念切手にカモフラージュ。沖縄の海や島を描いた「海洋シリーズ」の一環として発行した。対外的には、長年、図柄が尖閣諸島であると知られることはなかった。
國吉さんが「この切手の図柄は尖閣諸島の南小島ではないか」と気づいたのは約15年前。原画を描いた安次富長昭・琉大名誉教授に話を聞いたところ、安次富氏は切手の図柄が尖閣諸島であることを認めた。当時の琉球郵政庁長が自らアホウドリの剥製を持参し、原画の製作を依頼したという。
安次富氏や琉球郵政庁の関係職員はいずれも故人になった。國吉氏は尖閣領有権を切手でアピールするため奮闘した関係者に思いを馳せ「切手発行は琉球郵政人の責務だった。県民は誇りに思うべきだ」と指摘した。
同編纂会は「尖閣切手」発行の秘話を記した小冊子「琉球郵政人の熱き闘い」を作成した。小冊子は14日の「尖閣諸島開拓の日」に、市出身の元産経新聞顧問、桃原用昇氏から石垣市に進呈される。