核兵器禁止条約による核なき世界が信じられている。「信ずる」のは勝手だが、なぜその前に「考える」ことをしないのだろう◆同条約交渉を主導した豪州外務省のハイノッチ軍縮・不拡散局長はこう述べる。「核兵器が安全を提供するものとは信じない」―。同条約は批准国以外に効力はなく、核保有国は批准していない。日本は米国の「核の傘」に入っている◆なぜ核は消えず、圧倒的な影響力をもつか。人間の恐怖心と支配欲に触れる「力」だからである。独裁国家が独裁し得るのは武力を背景とする権力のためである。同様に独裁国家転覆は武力蜂起による破壊であった。力への無自覚こそ、危険なことである◆文明は後戻りできない。一度核兵器を知った人類から果たして核を奪えるか。知識を永遠に封印し、記憶を全て抹消する〝焚書坑儒〟でもするつもりか。彼は一体何を以て「安全」と考えたのか。「考える」を止め、「信じる」に逃げただけにみえる◆本欄へのあらゆるレッテル貼りは、考えていない証拠である。言論の自由を愛する人が、核シェアリングや核保有への議論を禁忌としてはいまいか。言論の自由には「言論の自由を否定する自由」さえ含まれるのだ。むろん安全保障では信じるより前に、考えることは多い。 (S)