OKINAWA考古学(15)
- 2022/6/30
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生産遺跡と呼ばれるものがある。ものづくりに関わったあとの残る遺跡のことで、具体的には製塩・製鉄・鍛冶・炭窯・鋳造・工場跡などである。
先島諸島の沿岸では数多くの生産遺跡が確認されている。建築物等に使用する石材を切り取った場所である石切場跡、潮の干満の差を利用して魚を獲る魚垣跡等などがそれだ。
魚垣は、海岸の一部を石積みにより囲む形が一般的だ。
満潮時には囲まれた部分に魚が入ってきて、干潮時になるとその魚が石積みの壁に遮られ、出られなくなるという仕組み。最後は網などで捕獲する。現在は使用する人がいないため、どんどん消滅しているという。
一見した限りでは、小笠原諸島・福徳岡ノ場の海底火山噴火による軽石の漂着を思わせるのが西表島の魚垣だ(写真1)。
沖縄県立博物館による西表島総合調査報告書で詳細に調べられている。一方、小浜島の北西海岸から南岸(写真2)にかけても数多くの魚垣跡が確認できた。これだけ多くの魚垣が残る場所は珍しく、歴史的景観を良く残していると、沖縄県立埋蔵文化財センターでは報告している(写真提供=沖縄県立埋蔵文化財センター。同センター調査報告書第52集「沿岸地域遺跡分布調査概報Ⅱ ~宮古・八重山諸島編~」の記事を再編集いたしました)。