【視点】大震災12年 離島でも問われる覚悟

 東日本大震災からきょうで12年を迎える。あの日の衝撃の記憶はいまだに生々しいが、津波や地震といった災害への警戒感は、震災直後に比べ、どこか緩みつつあるようにも感じる。悲劇の記憶をどう継承していくかが課題だ。
 2011年3月11日、マグニチュード9・0の巨大地震が発生し、大津波が東北地方を襲った。死者は1万5千人を超える。
 あの日、遠く離れた離島の八重山でも、津波を恐れた大勢の人たちが学校などの指定避難場所に集まった。直接的な被害を受けたわけではなかったが、心理的パニックに近いような感情が住民の間に広がった。
 1771年の「明和の大津波」では八重山の先人たちが甚大な被害を受けている。久しく意識しなかった津波の恐怖が再来した。
 あれから12年、自治体が毎年実施する防災訓練は、東日本大震災の経験がベースになっている。津波襲来時は何をおいても高台へ急ぐ意識が根付き始め、行政が指定する津波避難ビルも増えてきた。
 しかし最近の住民意識としては、地震や津波といった自然災害より、むしろ、地理的に近い台湾に中国が侵攻する「台湾有事」への懸念が高まっている。
 他国からの武力攻撃などの事態が発生した際、住民をどう避難させるかという「国民保護計画」にスポットが当たっている。
 考古学的な研究の結果、八重山は津波の常襲地帯である可能性が高いことが判明した。それだけでも住民の負担は大きいが、さらに国際情勢の推移によっては、八重山は否応なしに戦争に巻き込まれる地理的状況にある。
 美しい南国の島々で生活できる私たちは幸せだが、一方でそれ相応の覚悟も求められているということである。
 自然災害にせよ、人為的な災害とも呼べる戦争にせよ、事前に備えを固め、万全の危機管理体制を構築しなくてはならない点は同じだ。避難手順、携帯すべき物資の準備、家族との連絡方法など、日頃から心がけておくだけで、万一の際に助かるということは多いだろう。
 東日本大震災では、東京電力福島第一原発の事故が周辺住民に深刻な影響をもたらし、日本のエネルギー政策の在り方が問われる事態になった。
 現在、電力会社は資源価格の高騰などを受けて電気料金の大幅値上げの方針を打ち出している。国民の関心が再びエネルギー政策に向き始めた。
 大震災を契機に、原発に反対する声が勢いを増したのは事実だ。しかし現状を見ても分かる通り、電力事情が逼迫(ひっぱく)する中、自然再生エネルギーだけで国民の需要をまかなうことは現実的ではない。
 過度な「脱原発」は、重い電気料金の負担や原子力技術の衰退などといった形で、国民生活につけを残す。エネルギー問題を考える際は大局的な視点が必要だ。

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