【視点】憲法は平和に役立っているのか

 中国軍は8日から3日間、台湾周辺で軍事演習を行い、空母「山東」を動員するなど、台湾に露骨な圧力を加えた。台湾に近い八重山でも懸念が広がった。中国の軍事行動は地域の緊張をいたずらに高めており、断じて容認できるものではない。
 中国が昨夏に台湾周辺で行った軍事演習では、日本のEEZ(排他的経済水域)を含む波照間島や与那国島周辺にも弾道ミサイルを撃ち込み、八重山住民に衝撃を与えた。今回の演習ではそうした行為はなかったが、だからと言って安心したり気を緩めたりはできない。
 県内では、台湾や尖閣諸島周辺での中国の行為を「大国のメンツを保つためのパフォーマンス」と見る向きもある。私たちが冷静に対処すべきなのは確かだが、そもそも、そのようなパフォーマンスを日本は国家として許していいのか。
 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 これは日本の憲法9条がうたっている理念である。仮に日本が中国と同じ立場になっても、日本は戦争に訴えて紛争を解決したり、武力で周辺国を威嚇したりすることはできないということだ。
 中国は今、日本の常識では考えらないことをやっている。対話するのも大切だが、相手は普通の国家ではないという前提に立つべきだ。
 台湾の動向は、否応なしに八重山、沖縄、日本にも影響する。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という言葉も日本国憲法の前文にある。憲法の精神からすれば「台湾統一は内政問題」という理屈をつけたとしても、他国のEEZに弾道ミサイルを発射するなど、もってのほかだ。
 中国が言う「台湾統一」は、自由で民主的な台湾社会が一党独裁国家に吸収されることを意味する。
 日本国憲法は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と訴える。
 この基準からすれば、中国が「内政問題」と称して台湾統一を強行することが許される「名誉ある地位」の国家でないことは明白だ。また日本も、台湾が軍事的な手段によって住民の意に反し「統一」されるのを座視するだけであれば、国際社会で名誉ある地位など保てないだろう。
 日本が反撃能力の保有を決めたことに対し「護憲」を叫んで反対する人も多い。だが日本国憲法を学べば学ぶほど、中国にこそ、日本国憲法の精神を学んでほしいと願う。日本政府に護憲を訴えるより、そのほうがどれほど地域の平和に寄与することか。
 護憲を訴える人たちは、日本国憲法の精神をここまで踏みにじる隣国の行動を再認識し、私たちの憲法が今、どこまで平和のために役立っているのか問い直すべきだ。あるいは、中国に行って日本国憲法の「素晴らしさ」をアピールしてもいい。
 日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とも強調している。しかし中国、北朝鮮、ロシアの侵略的行動を見れば、この宣言が死文化しているのは明らかだ。
 憲法と現実の乖離は、もはや看過できないレベルに達している。守るべきは守り、変えるべきは変える。国会では憲法審査会が開かれているが、よりスピーディな議論が望まれる。

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