【視点】世界に羽ばたく離島出身者

 石垣市出身で八重山商工卒の西武・平良海馬投手(21)が東京五輪の野球日本代表に内定した。平良投手は今シーズン、開幕から32試合連続無失点のプロ野球記録を達成したばかりで、相次ぐ朗報に故郷の石垣島は沸いている。
 東京五輪には自転車ロードレースで石垣市出身の新城幸也選手(36)も出場を決めている。人口5万人弱の小さな島から同時に2人の日本代表が誕生するのは、快挙と呼ぶほかない。
 コロナ禍で漂う沈滞ムードを吹き飛ばし、次代を担う子どもたち大きな夢と希望を与えるニュースだ。平良選手、新城選手の五輪での活躍を祈りたい。
 石垣島は人材の宝庫である。プロ野球では平良投手のほか、大嶺祐太投手(ロッテ)、嘉弥真新也投手(ソフトバンク)が活躍。芸能界では紅白歌合戦の出場経験があるBEGIN(ビギン)や夏川りみさんなどが著名だ。
 スポーツや芸能に限らず、全国さまざまな分野で八重山出身者たちが業績を残している。八重山の豊かな自然や文化が独特の才能を持った子どもたちを数多く育んでいると言える。
 大きな目標を抱いている人間にとって、離島で生まれ育つことは、かつてはハンディでしかなかった。
 地理的に本土や沖縄本島と隔絶され、何をするにもコスト高で、大きな経済的、精神的格差に悩まされていた。復帰前後までの世代にとって、離島出身であることは、ある種の劣等感と背中合わせでもあった。
 離島の不利性は基本的に今も変わっていないが、時代の流れとともに離島を取り巻く環境は激変した。交通手段が発達し、新空港も整備され、本土や沖縄本島との往来は以前よりはるかに容易になった。インターネットがくまなく普及し、本土、本島との情報格差は事実上解消された。
 沖縄の素晴らしさが再認識され、これまでとは逆に、全国から大勢の人たちが八重山を目指すようになった。
 八重山の人たちも、ハンディを跳ね返すべく驚異的な努力を重ねた。例えば2006年の八重山商工の甲子園出場という偉業は、現在に至るまで平良投手らの活躍の原動力であり続けている。
 今や小さな島の出身だからと言って、委縮するような子どもはほとんどいないだろう。むしろ平良投手や新城選手らに触発され、離島で生まれ育ったことを自らのアドバンテージとして「世界へ羽ばたくんだ」という意気込みを持つに違いない。
 与那国島出身の軍人で、沖縄出身者として初めて天皇から感状を与えられたことで有名になった大舛松市大尉(1917~1943)には、離島の人たちを叱咤激励する有名な「遺訓」がある。それは地元で建立された碑に記されている。
 「うらぶ(与那国島にある山)の高きを思うなかれ 大空の限りなきを知れ 島の小さきを憂うなかれ 太平洋の広きを見よ」。
 世界を舞台に輝く八重山出身者たちを見ると、70年の歳月を経て、大舛大尉の夢が実現した、と思わずにはいられない。

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