戦争マラリア犠牲者を追悼 慰霊之碑で追悼式

犠牲者を追悼する参列者=23日午後、八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑

 沖縄戦末期に軍の作戦に伴い、八重山各島の住民が山間部に避難し3647人がマラリアで死亡した「戦争マラリア」の歴史を伝えるため、八重山戦争マラリア犠牲者追悼式(石垣市主催)が23日、バンナ公園の慰霊之碑前で開かれた。戦争マラリアで亡くなった犠牲者に対し哀悼の誠を捧げ、世界の恒久平和を祈った。約200人が参列した。

 中山義隆市長は「戦争マラリアで亡くなった全ての犠牲者のみ霊に対し哀悼の誠を捧げる。沖縄では地上戦が展開され、八重山では軍命でマラリア有病地への強制疎開が余儀なくされた。島民の多くが罹患した」と指摘。八重山全体で3647人が犠牲になったと続け「悲痛な魂の叫びに耳を傾け、平和の尊さを子孫に引き継ぐ。ここ八重山から平和への願いを世界に発信する」と宣言した。
 八重山戦争マラリア遺族会の唐眞盛充会長は「私の兄は強制移動の一カ月後、7月17日に5歳でマラリアの犠牲になった。母も(罹患して)苦しみ、病床で起き上がることができず、我が子の埋葬を見届けることができなかった」と説明。78年前の沖縄戦では「マラリアで重大な犠牲が出たことを忘れてはいけない」と力を込めた。
 玉城デニー知事(代読・長濱広明県八重山事務所長)の追悼の言葉も読み上げられた。
 バリトン歌手の田本徹さんが追悼の歌を独唱。トラペット奏者の玉盛邦則さんは、中上香代子さんのピアノ伴奏で「てぃんさぐぬ花」の追悼の演奏を行った。
 閉式後、参列者は一人ずつ碑の前で焼香した。
 1947年に八重山民政府(当時)が作成した「1945年戦争に於ける八重山郡島のマラリアについて」によると、終戦時の八重山総人口は3万1701人で、このうちマラリア罹患者は1万6884人(53・26%)。死亡率は21・6%だった。

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