いったい、いつまで沖縄県民を泥仕合に巻き込み続けるのか。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡る代執行訴訟で県が敗訴したことを受け、玉城デニー知事は最高裁に上告したと明らかにした。既に確定した最高裁判決に従わない姿勢を示している以上、最高裁で逆転勝訴する見込みは極めて薄い。訴訟を続行するのは県民の利益のためなのか、それとも自らの支持層へのアピールなのか、玉城県政の姿勢に疑問を抱かざるを得ない。
最高裁判決にもかかわらず、玉城知事は辺野古沿岸の設計変更申請を不承認とする姿勢を貫いた。だが、それを「県民のために権力と戦う知事」という美談に書き換えてはいけない。
何より、知事の判断は自らに課された法的義務を無視するものだ。法治国家で首長が司法判断に従わないと公言するのは、三権分立の趣旨にも反する。民主主義の根幹にも関わりかねない問題だ。知事がやろうとしているのは民主主義を守る戦いではなく、民主主義を破壊する行為である。それはどのような理屈をつけようと、正当化されるものではない。
知事は辺野古移設に反対する民意を「公益」と主張し、政府の政策や司法判断に抵抗する根拠に位置付けている。日本政府は辺野古移設を推進しているが、沖縄県内の選挙では辺野古移設に反対する候補者が勝利し、そこに「ねじれ」が生じていることは事実だ。
だが、世界中どこを探しても、地方政府の判断を中央政府の判断に優先させている国家はないのも、また現実である。県はそうした現実を踏まえ、県民の利益を最大化する政策を考えなくてはならない。
県が中央政府の政策を覆すことに固執し、いたずらに政府との関係を悪化させ、その結果、沖縄振興事業への悪影響などの形で県民がツケを払うというのでは、県政が本来の役割を果たしているとは言えない。
辺野古移設に反対する政策が「公益」または「県益」と呼べるかどうかにも疑問がある。基地反対派は「基地の県内移設では負担軽減にならない」として既存の基地の撤去や県外・国外移設を求める。基地を全面撤去したいという心情は理解できる。
だが基地負担軽減を一歩でも二歩でも進めたい県民の立場からは、移設が県内であろうと、県外であろうと、ほしいのはとにかく、普天間飛行場が宜野湾市から消え、フェンスが完全撤去されるという成果だ。
その大目的からすると、県内移設を認めない県のかたくなな態度が、かえって普天間飛行場の返還を遅らせている一因になっているのは、誰の目にも明らかだ。県が「反基地イデオロギー」にとらわれているのである。
県議会12月定例会では、玉城知事だけでなく県職員までもが、辺野古移設を「新基地建設」と表現していることが自民党によって問題にされた。県民に客観的事実を伝えるべき県庁ですら、移設を新基地建設と呼ぶ基地反対派のプロパガンダに加担している。
辺野古移設は基地負担軽減を目的とした事業であり、戦争を始めるための新基地建設ではない。県がそもそも移設事業の趣旨を曲解しているなら、何のため移設に反対しているのか、正当性も疑わしくなるし、移設に関し、県民に正しい情報が行き渡っているのかも確信が持てなくなる。
玉城知事と支持者は沖縄の平和のために権力と戦っているわけではなく、現実の政策は「反基地イデオロギー」を法的義務に優先させたことだけである。
そのために起きた混乱や、今後予想される県民の不利益に対し、知事は直接的な責任を負わなくてはならない。沖縄の将来を考えれば泥仕合を即刻やめ、県民生活の安定と向上という県政本来の仕事に立ち返るべきだ。