【やいまぴとぅ ここにあり⑩】映像で人と人「つなげる」 CM企画・演出・制作の新本信春さん(45)

CM制作などで活躍する新本さん=2024年1月、那覇市

 185㌢の堂々とした体格と快活な人柄を生かし、撮影現場を走り回る。沖縄本島を拠点に、フリーの立場で企業のCMやプロモーションビデオなどの映像制作に取り組んできた。「次から次と新しいジャンルの仕事が入るので、20年以上続けていても飽きない。映像を通じて人と人を『つなげる』役割を果たせれば」と全力投球の日々だ。
 1978年、石垣市平得で新本信市さん、律子さん夫妻の3男として誕生。幼少期から恵まれた体格を生かして野球に打ち込み、八重山高校野球部ではエースを務めた。
 プロ入りも頭をよぎったが、ビジネスの世界に適性を感じ、名古屋商科大に進学。在学中に見たミュージックビデオにインスピレーションを受け「映像をつくる仕事がしたい」と思うようになった。
 上京し、映像制作の専門学校に通いながらテレビ番組制作会社でAD(アシスタントディレクター)のアルバイトをこなし、バラエティ番組の世界で経験を積んだ。26歳で沖縄に戻り、那覇市でCM制作などを請け負う会社に入社した。
 当時、映像制作の仕事は変革期。従来は分業だった撮影から編集までの工程が、パソコンのソフトを駆使し、一人でこなせるようになった。「映像制作の方法をオールマイティに学んだことが、今の基盤になっている」と当時の上司や同僚に感謝する。
 航空会社、銀行、電力会社など、県内大手を含むさまざまな企業から依頼を受けた。予算が豊富につけば大掛かりな撮影を行えるが、低予算でも工夫しだいでハイクオリティな作品ができる。予算に応じた企画のノウハウも身につけた。
 CMは短ければ15秒。その中に凝縮された映像、音楽、キャッチコピーを盛り込む。「アイデアを出す楽しさがある。自分が手掛けたCMが実際にテレビで流れるのもうれしかった」。仕事にやり甲斐を感じた。
 家庭の事情で別会社に転職するなどの曲折を経て、2015年、37歳で独立。自宅とは別に借りたアパートで事務所を構え、個人で活動を始めた。
 新型コロナウイルス禍の21年、県から、打撃を受けた観光の回復を目指すプロモーションビデオ制作の打診を受けた。
 南国や豊かな自然といった表面的な沖縄のイメージではなく「土着の沖縄を出したい」と強く思った。頭に浮かんだのは故郷・石垣島の伝統行事。難色を示す地域が多かったが、大浜地区を地元とする次呂久成崇県議の紹介で、大浜の節願い(しつねがい)に密着できた。
 映像はユーチューブで配信され、世界で1千万回以上再生された。八重山を内外に発信できたという自負がある。「特に感慨深い仕事の一つ」と振り返る。
 音楽の分野にも進出。16年、3人組バンド「八重山モンキー」、砂川たかゆきのマネージメントを手掛ける事務所「ツキヌカイシャレコード」を立ち上げ、CDも制作した。
 八重山モンキーのギタリストで、人気バンド「きいやま商店」のメンバーでもある同郷の崎枝亮作さんとの交友がきっかけだった。コロナ禍では無観客ライブの映像配信も担当し「ライブは減ったが、逆に配信の仕事が増えた」と話す。音楽プロデューサーは「長く続けていきたい仕事」と力を込める。
 私生活では前妻と死別したが、16年、滋賀県出身の洋子さん(44)と再婚。今年で5歳になる双子の男の子と女の子、末娘2歳に恵まれ、子育てでも多忙な毎日が続く。
 「映像を通じて企業、自治会、行政など、人と人とをつなげることが好き。いろいろな人の思いをつなげ、形にしていきたい。将来は映像に興味を持つきっかけとなったミュージックビデオも手掛けてみたい」。夢が広がる中、脂がのる40代後半へと向かう。(仲新城誠)

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