安全保障に必要な施設と、地域住民の暮らしをいかに両立させるか。これは沖縄で特に議論になることが多い問題だ。石垣市でも陸上自衛隊石垣駐屯地の建設の是非が何度も選挙の争点になったが、うるま市でも同様の事例が勃発した。
防衛省は陸自第15旅団の「師団」格上げに伴い、うるま市のゴルフ場跡地約20㌶を取得し、訓練場を整備する計画を立てた。だが地域住民から反対の声が相次ぎ、玉城デニー知事だけでなく、政権与党の自民党県連も白紙撤回を要求。報道によると、防衛省は計画を大幅に見直す方針を固めた。
自衛隊施設の建設で地域住民の平穏な生活が脅かされることがあってはならない。だが一方で、日本周辺の大国が軒並み軍事力を強化し、沖縄にも中国の脅威が迫っている現状がある。安全保障上、必要な施設の建設は進めなくてはならない。
防衛省がどのような方向で計画を再検討するのかはまだ分からないが、住民生活への影響を最小限に抑えるよう方策を練り、住民との妥協点を見出してほしい。
ゴルフ場跡地に建設される施設が自衛隊の施設でなく、民間の事業所であれば、たとえそれが大規模な工場のようなものであったとしても、現在のような反対運動が起きたかどうか、一考する必要がある。
自衛隊や米軍の施設というと、反射的に事件・事故や騒音などによる生活環境の悪化、有事の標的といった悪いイメージが蔓延(まんえん)し「基地負担」というワードと直結してしまう傾向は否定できない。
他国の軍隊である米軍の基地に関しては、日本の施政権が及ばないこともあり「負担」という言葉が使われる現状は理解できる。しかし自国の安全と平和を守る組織である自衛隊の存在を「負担」と呼ぶのはどうか。「軍事力は悪」と決めつける沖縄の戦後教育が生んだ、ゆがんだ先入観であるとしか思えない。
自衛隊の存在は抑止力として、侵略的な周辺国に睨(にら)みを利かせ、沖縄が攻撃対象になることを防ぐ。不幸にして抑止力が破綻(はたん)した場合でも、他国の侵攻を食い止め、住民の避難を容易にする。
東日本大震災や能登半島地震の事例を見れば分かるように、災害時には身を挺して救助や復興活動に当たる。その意味では負担ではなく、むしろ地域にとって貴重な資産になり得るだろう。
自衛隊に起因する事件・事故、騒音の懸念と言っても、自衛隊は米軍と違って日本の法律でコントロールされ、規制を受けている。それこそ有事や災害でもなければ、他の官公庁や民間の事業所と異なることはない。「自衛隊」と言うだけで、地域と調和した施設の建設は不可能であるかのような意見に、くみすることはできない。
玉城知事は県議会での所信表明演説で「米軍基地が集中していることに加え、自衛隊の急激な配備拡張により、沖縄が攻撃目標になることは、決してあってはならない」と述べた。自衛隊と米軍を「負担」という観点から混同する誤りを犯していないか。
自衛隊の増強が米軍基地の整理縮小と併せて検討されるべきという主張は正論だが「抑止力の強化がかえって地域の緊張を高める」という知事の持論は、国際情勢の現実とマッチしていない。
政府と協調してきた自民党県連が訓練場の白紙撤回要求にかじを切ったのは、6月の県議選を見据えているためと言われる。民主主義国家である以上、国の根幹にかかわる安全保障政策であっても、選挙の影響を受けるのは避けられない。大事なのは、有権者が自衛隊の存在や安全保障政策に正しい理解を持つことである。