新垣幸子さん人間国宝に 県内7人目、八重山上布で初

人間国宝に認定された新垣幸子さん=18日、石垣市の自宅兼工房

 国の文化審議会(島谷弘幸会長)は19日、国の重要無形文化財と保持者の認定を文部科学大臣に答申した。県内からは八重山上布が重要無形文化財に、制作者の新垣幸子さん(78)=石垣市、同保存会代表=が初の同保持者(人間国宝)に認定された。伝統的な手結(てゆい)による「紺嶋上布(括染上布)」を復活させた功績が高く評価された。八重山上布の認定は県内の工芸技術で6番目、同分野の人間国宝は県内で7人目(物故者を含む)。

 八重山上布はイラクサ科の苧麻(ちょま)を原材料に使う八重山伝統の織物技法で作られる。明治・大正時代に新しい技術が考案され産業化されたが、新垣氏の尽力で王朝時代の伝統技法が復活した。
 新垣さんは八重山上布復元事業の中心的な存在として活躍。事業で得た技術と独自の感性を生かした作品は、芸術性を高く評価されている。
 自宅兼工房で栽培した苧麻から糸をつむぎ、八重山にある色鮮やかな植物を使ってさまざまな色に染色、1枚の布地(着尺)に仕上げる。通常13㍍ほどになるが、少し余分に織り余った部分「裂(きれ)」を集め、裂帖(きれちょう)としてまとめ、県立芸術大学などに提供した。
 裂帖は170種類の裂で構成。伝統的な図柄だけでなく、新垣氏が考案した図柄も多数含まれる。
 1945年10月、熊本県生まれ。父は沖縄戦で戦死し、母の故郷である石垣市で育った。高校卒業後、地元新聞社や保険会社に勤務し、1972年に県工業試験場(現・県工芸振興センター)染織課で1年間技術を習得。故・大城志津子氏(県指定無形文化財・本場首里の織物、保持者)に師事し、故・石垣英富氏(同・八重山上布、保持者)の工房で技術を磨き、1973年に自身の工房を開いた。
 独立前から先島の旧家に残る古文書を読み、八重山上布を研究。八重山博物館の復元事業(1988年から10年間)では、中心的な役割を担った。
 沖展を中心に作品を発表。第26回展(1974年)に初出品で奨励賞を受賞後、同展で受賞を重ねた。1999年には第19回伝統文化ポーラ賞を受賞。2017年に県文化功労者として表彰された。
 市の後継者育成事業で講師を務め、県立芸大や多摩美術大で指導。現在も県の伝承者養成事業で後進を指導・育成している。
 私生活では5人姉弟の長女で、結婚後は2人男をもうけた。現在は孫3人・ひ孫4人に恵まれた。来月には5人目のひ孫が誕生予定。
 重要無形文化財の指定件数は71件(芸能38件、工芸技術33件)、保持者は108人(芸能56人、工芸技術52人)になった。

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