6月の県議選で、玉城デニー知事を支える「オール沖縄」勢力が大敗し、沖縄の政治情勢は大きく変わろうとしている。自民党県連の重鎮で、現在は同顧問を務める翁長政俊元県議(75)=石垣市出身=が、7日までに八重山日報のインタビューに応じた。
―玉城知事と対立する野党が48議席中28議席を占めた一方、与党は大敗した。
「自民県連は選挙情勢が厳しい選挙区を重点地区と定め、党組織と経済界の力を借りて集中的に選挙に取り組んだ。県連の役員は自身の選挙があるため、選挙区支部長とわれわれOBなども応援に入った」
「他方、与党の中でも特に共産党は『オール沖縄』に看板を付け替えることで一人勝ちし、党勢拡張を図ってきたが、議席を伸ばせず、与党の中でもひずみが生まれ、県議選ではすみ分けが難しくなっていた」
「県議選では、その共産党が3議席減らしたのは、候補者や支持者の高齢化が要因だろう。辺野古反対闘争にシンパシーを感じていた無党派層が離れことが『オール沖縄』の退潮につながっていると思う」
―「オール沖縄」は翁長雄志氏が初当選した2014年の知事選で誕生した。翁長氏はなぜ「オール沖縄」をつくったのか。
「翁長氏は『辺野古移設反対』のワンイシューでムーブメントを起こし、革新プラス保守の一部を糾合すれば知事選に勝てる、と考えた。『オール沖縄』は、翁長氏が知事になるための戦略的な政治闘争の中で生まれた」
「翁長氏と行動をともにした『オール沖縄』に行った保守の人たちの主力メンバーは、もともと仲井真弘多県政と折り合いが悪かったなどの事情があった。だから翁長氏が亡くなると同時に『オール沖縄』から離脱し、保守側に回帰してきた」
―那覇市長だった翁長氏は当初から仲井真知事の有力な後継候補で、禅譲を期待される立場だったと思う。それでもあえて「オール沖縄」をつくる必要があったのか。
「仲井真氏は、やり残した沖縄振興策を3期目で完成させたいという強い意欲を持っていたと思う」
「後継者問題で明確な結論が出ていない中、翁長氏は仲井真氏が3選出馬するのか、自分に禅譲するのか見極めるため、いろいろ情報を取っていた。仲井真氏は2013年12月に辺野古沿岸埋め立てを承認した。安倍晋三政権から10年間、3千億円台の沖縄振興予算を獲得して『良い正月が迎えられる』と発言し、マスコミや辺野古反対派から大バッシングを受ける」
「それを見極めた翁長氏は、翌年の3~4月ごろから『オール沖縄』をつくる方向に大きく舵を切った。発言も先鋭化し、エスカレートしていき、辺野古反対運動の先頭に立った。世論の動きを見極め、革新側に軸足を移し、知事選出馬の腹を固めたのだと思う」(続く)