トランプ米政権が全世界からの輸入品に課す「相互関税」が発動された。当面は一律10%だが、米国は9日には、貿易赤字の大きい国や地域の税率を引き上げる。世界最大の経済大国が「貿易戦争」の火ぶたを切ったとも思える状況だ。
これまで自由主義経済の騎手だった米国が、露骨な「自国第一主義」に転換した。トランプ政権を「利己的」と非難するのはたやすい。
だが関税発動は、トランプ大統領のかねての公約であり、この日が来ることは大統領選の日から容易に予想できた。トランプ氏は、有権者に対して責任を持つ政治家として有言実行したに過ぎない。
日本としては米政権の政策の是非を論じている場合ではなく、国内の経済的ダメージをいかに最小限に抑えるか、具体的な行動に出る時だ。
日本は戦後、米国中心に形成された西側の国際秩序の中で、経済も安全保障も、米国の庇護のもとにあった。
しかし中国の経済的、軍事的台頭で米国の国際的地位が相対的に低下し「米国頼み」一辺倒は徐々に通用しなくなった。トランプ政権の誕生は、その事実を白日の下にさらしたと言える。
冷戦終結後、私たちは東西融和の実現を期待したが、日本の周辺国である中国、北朝鮮、ロシアはむしろ、自国の国益をむき出しで追求するようになり、歯止めが利かなくなった。
そして民主主義陣営のリーダーであった米国さえも、弱肉強食の国際社会で他国を抑えるどころか、自らが無慈悲なプレーヤーの一員になろうとしている。
これをトランプ政権の特異性と見ることも可能だが、こうした傾向が次期政権以降も引き継がれ、固定化していく可能性は否定できない。
自国第一主義とはトランプ政権が引き起こした流れではなく、もともと、それこそが全世界的な潮流であり、国際社会が将来的にその方向に向かって進んでいくということだ。
日本国憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記される。ところが戦後80年を経て、憲法の理想はますます空文化している。
ただ、3月に来日したヘグセス米国防長官は中谷元防衛相と会談し、対中抑止で緊密に連携する方針を確認した。米国が日本の安全保障に関与する姿勢は揺らいでいない。
日本は経済問題でパニックに陥ることなく、従来通り、経済と安全保障は切り分ける姿勢で冷静に対処すべきだ。
一方でトランプ政権の誕生を契機に、経済、安全保障両面での「米国頼み」から脱却する方策を、そろそろ真剣に模索しなくてはならない。米国が依然、最大の友人であるとしても、これまでの距離感は見直さざるを得ないのだ。