【視点】「方言文化」継承の意義

 方言を使った者に対する罰として首にかけられる「方言札」が、明治から沖縄の学校現場で使われていたことはよく知られている。方言撲滅運動は、沖縄と日本本土の一体化に向けた政策として進められた。
 そんな「弾圧」にもかかわらず、方言は戦後までしぶとく生き残った。
 ところが皮肉なことに、権力の束縛から解き放たれ、自由にどんな言葉でも話せるようになった現代、方言は私たちの日常生活から姿を消そうとしている。若者世代で、ネイティブスピーカーはほぼ見当たらない。
 県が毎年実施している「しまくとぅば(沖縄方言)」県民意識調査の結果が先日発表された。しまくとぅばを「主に使う」「共通語と同じくらい使う」「あいさつ程度使う」人の割合は合計42・5%で、前年度より増加したものの、半数を割り込んでいる。
 県は方言の普及継承に向けた取り組みを進めているが、逆に言えば方言は、積極的に「保護」しなければ自然消滅してしまうのである。
 方言を話せなくても日常生活には何の支障もない。それが、方言が使われなくなった最大の原因だ。そんな時代になぜ、あえて方言を残そうとするのか。その意義は「言葉」がその人にとってのアイデンティティであるという一言に尽きる。
 関西人は関西弁、東北人は東北弁を話すことで、どこの文化圏で育った人間なのかが他人からすぐ分かる。沖縄にしても、沖縄本島、宮古、八重山で言葉が違う。さらには八重山の中でも、島によって、さらに方言の種類は細分化される。
 ある人間を沖縄人と呼ぶための基準を問われれば、多くの人は恐らくDNAと言葉を挙げるはずだ。だが、DNAは外見からはすぐに判別できない。外側から見て分かる究極的な特徴は、言葉しかない。
 八重山でも古謡は綿々と歌い継がれているが、現在では歌い手の多くが本土出身者である。だが彼ら、彼女らが一様に感じるのが「言葉の壁」だという。
 先人の情感を知るには、歌詞の意味を肌で理解しなくてはならない。父祖の思いを正しく後世に受け継ぐには、当時使われていた言葉を知ることが絶対に重要である。
 県の意識調査では、しまくとぅばに親しみを持つ人が約77%に達するなど、ほとんどの県民が方言に好印象を持っていることが分かった。
 だが唯一、方言に関してややネガティブな感情をうかがわせる回答もあった。学校の授業科目に方言を加えることに対し、56・7%が否定的な考えを示したのだ。
 子どもに学校の授業で教えるなら、方言よりも英語や国語などに力を入れてほしいということだ。多くの県民が方言を継承したいと思っているが、それは一般人にとっての絵画や音楽と同様に、あくまでも趣味の領域であることを示している。
 日常生活に必要な手段として方言が使われる時代は、もはや来ない。方言が生き残るなら、それは私たちの伝統文化として、生活を楽しみ、豊かにすると同時に、私たちの生き方を考えさせてくれる手段としてである。

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