「勇敢さが抑止力に」 戦後80年、特攻隊慰霊 護国神社

慰霊祭に参列した特攻隊遺族の我喜屋元四郎さん=23日午後、護国神社

 第二次大戦で出撃した特攻隊を語り継ぐ慰霊祭が23日、那覇市にある護国神社の特攻勇士の像前で執り行われ、遺族など関係者約20人が参列した。今年は戦後80年の節目。像を建立した特攻隊戦没者慰霊顕彰会の石井光政専務理事事務局長は「特攻隊が示した勇敢さと、国を守る意識が一番の抑止力になる」と訴えた。
 この日は小雨が降る中の慰霊祭となったが、関係者が続々と特攻勇士の像前に足を運んだ。加地順人宮司が斎主として祝詞を奏上し、玉串を捧げるなどの神事を行った。
 参列した我喜屋元四郎さん(89)=うるま市伊計島=は、兄の元次郎さんが海軍丙種飛行予備練習生16期生だった。元次郎さんは1944年12月16日、フィリピンで特攻死した。享年19歳。
 フィリピンに向かう途中、軍用機で故郷の伊計島を通過し、上空から両親宛ての手紙を投下。「お国のために行ってきます。親孝行できませんでしたが、許してください。泣かないでください。褒めてやってください。海の男ですから海で死ねて本望です」と記されていたという。
 毎年慰霊祭に参列している元四郎さんは「兄は亡くなったあとも、どこかで見守ってくれている」と言葉に感慨を込めた。加地宮司は「戦没者は心静かに休まれていると思う」と話した。
 石井事務局長は、靖国神社を訪れたウクライナ人が特攻隊のことを知り「ウクライナにこんな人たちがいたら、侵略されることはなかった」と語ったというエピソードを紹介。
 隊員の多くが若くして亡くなったため直系の子孫がほとんどおらず、遺族による記憶の継承が困難になっている現状も指摘した。
 沖縄戦でも石垣島から出撃した陸軍の伊舍舎堂用久中佐を皮切りに、多数の特攻があった。護国神社では特攻隊員すべてを慰霊している。
 慰霊祭に先立ち、護国神社の春季例大祭が開かれた。大祭委員長の比嘉吉雄護国神社代表役員会長、県遺族会連合会の我部政寿会長らが参列し、恒久平和を祈った。
 特攻隊戦没者慰霊顕彰会は全国の護国神社に特攻勇士の像を奉納する取り組みを進めており、沖縄の護国神社では2018年に建立が実現。同年以降、毎年、春季例大祭に合わせ特攻隊の慰霊祭が開催されている。

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