【視点】今年も前進しない改憲論議

 米軍基地問題の根本的な問題は何か。そう問い直すと、日本の安全保障を事実上、米国に委ねているという国のあり方に行きつく。
 日本がそのような国になっているのは、ほかならぬ憲法にこう書いてあるからだ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
 9条に定められた交戦権の否認、戦力の不保持もある。自国で軍隊を持てない以上、他国に守ってもらうほかない。
 だが、その結果として日本は、沖縄で広大な米軍基地を受け入れざるを得ない。米軍施設や兵士の数が多ければ当然、基地に派生する事件事故の可能性も高まる。
 米軍基地問題の根底にあるのは、自分の国は自分で守るという基本原則を忘れた憲法だ。そう思わざるを得ない。
 そうした国のあり方が戦後80年、固定化された結果、自衛隊が国民に信頼される組織として確立された現在でも、日本の安全保障の基軸は自主防衛ではなく、日米同盟であり続けている。
 また現実問題として人口減少や高齢化が進む中、増大する中国や北朝鮮の脅威に対し、米国の協力なしに対処する国力は、日本にはもはやないだろう。
 だが、同盟の相手方である米国ですら、歳月の経過とともに、日米安保条約の歴史的背景を忘れ去っているように感じる。典型的なのがトランプ大統領だ。
 「我々は日本を守っているが、日本は我々を守らなくていい。誰がこんな取り引きをしたのか」。日米安保条約の「片務性」について、繰り返し批判を続けている。
 日本に軍事力を放棄させた米国自身が、こういうことを言う時代になった。制定後78年経過した憲法が、いかに時代と合わなくなったかを実感させられる出来事である。
 憲法が示す平和主義、国民主権、基本的人権の尊重は、時代を超越し、今後とも日本人が堅持しなくてはならない至高の価値だ。
 一方、憲法前文で説かれている空疎な理想や、現実と乖離した9条の見直しは、私たちにとって次世代への義務である。
 だが私たちは、5月3日の憲法記念日に毎年同じことを訴え続け、そして毎年のように、改憲が一歩も前進しない現実を見せつけられている。
 昨年の衆院選で改憲勢力は国会発議に必要な3分の2を割り込み、改憲の気運は目に見えてしぼんだ。石破茂内閣にも突破力を感じない。
 しかし、国際情勢は日々動いている。八重山でも今や2カ所の駐屯地が開設され、自衛官たちも地域住民の一員となった。迷彩服姿も、もう珍しい光景ではない。まずは憲法への自衛隊明記だけでも着手すべきではないか。

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