過酷な体験 未来へ継承 石垣市新川 尖閣戦時遭難を慰霊

式辞を述べる遺族会の玻名城健雄副会長=3日、尖閣列島戦時遭難死没者慰霊の碑前

 太平洋戦争末期の1945年7月3日、疎開船2隻が米軍の攻撃を受け、多数の犠牲者や遭難者を出した「尖閣列島戦時遭難事件」の慰霊祭が、事件当日、同時刻の3日午後、新川舟蔵の慰霊碑前でしめやかに執り行われた。
 同遭難者遺族会の玻名城健雄副会長は昨年7月に亡くなった慶田城用武会長の言葉に触れ「国境だからこそ経済交流を通して共存していくことが平和への近道」と紹介し、「過酷な漂流体験を経て生還した人も少なくなってきた。平和な世界の実現を信じ、日々努力することを御霊の前で誓う」と誓いを述べた。

 八重山市町会中山義隆石垣市長のあいさつ文を代読した川満誠一副市長は「歴史を風化させることなく子や孫に伝える使命がある。恒久平和を希求し平和教育、平和行政を推進していきたい」と話した。
 事件当時20歳以上の生存者がいなくなり、10歳以下の子どもたちが80歳前後となったと生還者の現状報告もされた。連絡も取りづらい状況の中、今年は11人と連絡を取り合ったという。
 参列した知名克昇さん(58)=字登野城在住=は父定喜さんの先妻と3人の子ども計4人の名前が慰霊碑に記載されており3回目の参加。「最低でも(慰霊祭の日)年1回は参加したいと思う。日本が平和であることを祈っている」と述べた。
 同事件は、戦争疎開で出航した第一千早丸と第五千早丸が、老人婦女子180人を連れて石垣港を出航。尖閣列島沖を航行中に米軍機の機銃攻撃を受け、第五千早丸は炎上沈没、第一千早丸は魚釣島に漂着し多くの犠牲者と遭難者を出した。魚釣島は無人島で慰霊を行うのは困難なことから2002年に新川舟蔵へ慰霊之碑が建立された。

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