八重山の夏を彩る風物詩、四カ字(登野城、石垣、大川、新川)合同の豊年祭ムラプールが26日午後、石垣市内の真乙姥嶽周辺で開かれ、各字民が今年の豊作に感謝し、来夏世の五穀豊穣(ほうじょう)、字の繁栄などを祈願した。昨年12月に新造された拝殿での豊年祭は初。会場には、11団体15本の旗頭が挙げられ、巻踊りや太鼓などの芸能が次々と奉納された。
真乙姥嶽周辺には各地域や団体の旗頭が集まり、午後3時半からムラプールが開始。新川字会の金城文雄会長は「伝統とモダンが融合した新拝殿。ますます重宝され、地域の発展につながるようにしたい」とあいさつした。
最初は新川の子どもらが「記旗」と「五穀の籠」を捧げ持ち奉納。長老らが世持(ユームツ)・長老(ウヤジュウ)、婦人らが麾(ザイ)・鼓(ツヅン)、青年らが鎌払(ガギバライ)などの芸能を演じた。
続いて双葉自治公民館、大川字会、石垣字会、登野城字会、JAおきなわ八重山地区本部、石垣島製糖㈱、石垣市役所、八重山農林高校、石垣中学校、東京八重山会の全11団体が次々と奉納した。奉納芸能終了後に嶽前道路で行われた「五穀の種子授けの儀」では、西から農の神が、東から巫女が字民に担がれ登場。神から巫女に種子が授けられた。
女性だけで行う「アヒャー綱」では、新川在住の東嵩西のり子さん(67)が「ブルピトゥ(棒貫人)」を務めた。神司から「ブル棒」を授かり、雌雄の大綱に差し込んだ後、女性らが舞で喜びを表現した。
東嵩西さんは「大役を仰せつかって眠れない日が続いていた。いろいろと教わった先輩に『よかったよ』と言われて、涙が出た」と感極まった様子。「夫と子ども3人も豊年祭に参加し心強かった。新川がいつまでも平和で、部落の皆さんと一緒に活動したい」と話した。
ツナヌミンと大綱引きは西に200㍍ほど移動して行われ、ツナヌミンでは2人の武者が勇壮な闘いを演じた。
大綱引きは東西の綱を貫棒で結びスタートし、西側が勝利した。祭りに居合わせた全員がそれぞれ少しずつ大綱の一部を持ち帰った。