「私が特に名を挙げずにはいられないのは、仲井真弘多前知事と伊江朝次前病院事業局長。地元八重山の医療人として、感謝の念にあふれんばかりだ」―。16日の新八重山病院開院式典であいさつした八重山地区医師会の上原秀政会長は、病院新築事業の「井戸を掘った」功労者として、特に2人の名を挙げた。仲井真さんは知事として、困難視された早期の移転新築を決断。伊江さんは1999年から11年間、同病院長を務めた経験を生かし、新病院の医療環境充実などに尽力した。
旧病院は1980年に建設され、老朽化が進行。「ここ数年は雨漏りやネズミの出現など、ため息が出るような悲惨な状況」(上原会長)だった。篠﨑院長は経過報告で「建て替えは病院事業局の資金から考慮すると困難。老朽化した病院で耐え忍ぶことを運命だと思いつつ、頑張っていこうと話をしていた」と振り返る。
篠﨑院長によると、2013年の台風では救急室の屋根が吹き飛ばされ、電子カルテの故障、自家発電の停止などの大きな被害を受けた。当時、石垣市区選出の県議だった辻野ヒロ子さんが仲井真さんに「現場を視察してほしい」と直談判。辻野さんによると、同病院にやって来た仲井真さんは、老朽化の惨状に「びっくりしていた」という。
沖縄本島に戻った仲井真さんは病院の建て替えを強く指示。当時の職員は「あのころは新病院などと言える状況ではなかったが、仲井真さんが理解してくれたことで、何とか着工できた」と証言する。
病院事業局長として新築事業の陣頭指揮を取ったのが病院事業局長だった伊江さん。院長時代は同病院の慢性的な人材不足を打開するため医師確保に奔走するなど、誰よりも現場の実態を熟知し、病院職員の信頼も厚かった。財政当局と現場とのはざまで、厳しい交渉も乗り切った。辻野さんは「伊江さんがいたから新病院が建設できた」と賛辞を惜しまない。
県は2016年1月に新築工事に着手したが、入札不調や建設地での磁気探査などがあり、完成が半年ずれ込んだ。伊江さんは今年3月に県を退職した。
在職中の完成には間に合わせなかったが、門前の石碑に病院名を揮毫(きごう)した。開院式典に姿を見せ「立派な施設ができた」と感慨深げ。自らの功績に水を向けられても饒舌に語ることはなかったが、石碑の前では記念撮影に応じた。「(揮毫のために)1ヵ月練習した。退職してようやく時間ができたからね」と、晴れやかな笑顔を見せた。