だから、裁判を「移設を阻止する最終カード」として美化したり、過度に期待する論調はおかしい。県も、県を後押しする移設反対の世論も、裁判の本来的な意義をはき違えたまま裁判闘争に突入し、挙げ句に判決を批判しているようにしか見えない。
こうした裁判は本来、勝っても素直に喜ぶべきことではないし、負ければ政治的な責任を取らなくてはならないだろう。しかし責任論が曖昧なまま、また新たな訴訟が始まろうとしている状況に違和感を抱いてしまう。
県は軟弱地盤の改良工事に向けた設計変更申請を許可しない構えだ。だが地盤改良工事は国が事業主体なのだから、国が責任を持って工事の可否を判断する。県が許認可権限を楯に、横やりを入れて中止させる筋合いのものではないと考えざるを得ない。本来は中立的であるべき許認可権限の政治的な乱用という批判も招きかねないのではないか。
県民投票を主導した「辺野古」住民投票の会の元メンバーは27日、玉城知事に対し、県民投票の結果を根拠に埋め立て承認の再撤回を行うことなどを提言した。
撤回、裁判闘争が繰り返されれば混乱が延々と続き、国と県の対立がいっそう泥沼化するだけだ。