新型コロナウイルスの影響は、夏の風物詩となっている国民的行事にも及んだ。日本高野連は、今年の第102回全国高校野球権大会と地方大会の中止を決めた。夏の甲子園大会が中止されるのは戦後初の事態だ。
夏の甲子園は毎年のように多くのドラマを生み、沖縄県民も球児たちの活躍に励まされてきただけに、やむを得ないとはいえ中止は残念だ。春の甲子園に続く中止で、球児たちの落胆を思うと胸が痛い。
県高野連は県独自の大会を7月4日から開催する方針を決めた。甲子園の夢はかなわなかったが、せめて球児たちの集大成として、練習成果を発揮できる大会にしてほしい。
甲子園に限らず、今年は全国高校総合体育大会(インターハイ)も開催できず、部活動に打ち込んできた多くの高校生たちが、練習成果を発揮する最後の場を奪われた。
多感な時期に大きな人生の挫折に見舞われたことになるが、将来、社会人となった時に、この経験を糧にしなくてはならない。特別な経験をしたからこそ、困難に耐える力を持つ特別な世代になれるという自覚を持ち、次のステップへ踏み出してほしい。
スポーツは観客に勇気や夢を与える。鍛え抜かれた技を駆使して勝利の栄冠に輝く姿はヒーローそのものだ。負けても全力を尽くした姿はすがすがしく、敗北からさえ得られるものがある。
新型コロナウイルスで人々が打ちひしがれている今ほど、スポーツの力が求められている時代はないかも知れない。ウイルス感染拡大で、ほとんどあらゆるスポーツが中断している現状はもどかしい。
プロ野球、サッカー、大相撲など、ほとんどの競技は無観客では経営的に厳しいと考えられ、プロスポーツは大きな岐路に立たされている。当面は無観客試合で再開を手探りし、その後は感染状況を見ながら段階的に観客の受け入れを解禁することになるのだろう。だが、入場時の消毒徹底、観客同士の距離確保など、当分は細心の注意を払い続けなくてはならないはずだ。
感染の「第2波」「第3波」を警戒しながら、政府が勧める「新しい生活様式」とスポーツ大会をいかに調和させていくかが全国的な課題になってくる。
東京五輪は来年に延期された。国際オリンピック委員会(IОC)のコーツ会長は、安倍晋三首相から来年開催が「最後のオプション」と伝えられたと明かし、来年も開催できなければ、東京五輪は中止になるとの見通しを示した。
五輪が開催されるかどうか、不安定な状況を1年も2年も引きずるわけにはいかず、来年開催が無理なら中止というのは妥当な判断だ。
国内の感染状況はひとまず落ち着いてきたが、世界ではなお感染拡大が続いている。わずか1年ほどで、各国から大勢の選手や観客が来日できるような状況に戻れるだろうか。来年開催の可能性は、とても楽観視できない。
東京五輪を巡っては沖縄本島や八重山でも聖火リレーが予定され、県内各地で各国からの選手受け入れが決まっている。県民としても待ち望んでいる大会には違いないが、判断は慎重にしなくてはならない。