石垣島出身の伊舍堂用久中佐(当時24)=戦死時大尉、2階級特進=ら特攻隊員が沖縄戦の陸軍特攻第一号として石垣島から出撃して76年となる26日、石垣市南ぬ浜町の顕彰碑前では島内外の有志らが各々に手を合わせ、先人の遺徳を偲んだ。
同日午前、八重山防衛協会(三木巖会長)や自衛隊沖縄地方協力本部石垣出張所(長谷竜己所長)などの関係者や島内外の有志ら約30人が同碑を訪れ、顕彰碑下の石敷きに献花し、拝礼した。
三木会長は「日本の国を守り、子孫を守るという決意をして出撃されたと思う。当時の状況は今の尺度でははかれない。自分の国は自分で守るという精神などの遺志を、子どもたちに引き継がせる義務が私たちにはある」と語気を強めた。
長谷所長は「我々は日本の平和と独立を守る立場。今の日本があるのはこういう方々の尽力があってこそ。改めて精進していくことを誓った」と強調した。
2013年の顕彰碑建立以来、慰霊祭実行委員会(上地和浩会長)主催の慰霊祭が毎年、顕彰碑前で開催されていたが、昨年の75年を1つの区切りに、今年からは個々人の取り組みに委ねた。
上地会長は顕彰碑建立の経緯に触れ、「顕彰碑の石を贈呈して頂いた大島彦成さんが亡くなられてしまったが、私たちは今後も、史実を後世に伝えるためにも節目節目には市民にも声をかけて(慰霊祭を)開催したい」と意気込んだ。
この日は特攻隊員、戦没者1036人の遺品を展示・収蔵している知覧特攻平和会館=鹿児島県南九州市=の朝隈克博館長などからも献花が届けられた。
伊舍堂隊の特攻 石垣島出身の伊舍堂大尉を隊長とする誠第十七飛行隊(12人)は陸軍第八飛行師団によって44年に台湾花蓮で編成され、45年2月から石垣島に展開。3月26日、伊舍堂隊長ら隊員の4機と援護に当たる直掩機(ちょくえんき)6機が慶良間諸島に迫る米艦隊に突入し、沖縄戦の火ぶたを切った。顕彰碑には伊舎堂隊長らを皮切りに、石垣島から特攻したことが確認された31人が刻名されている。