【視点】辺野古 深まる対立懸念

復帰50年という重要な節目であるにもかかわらず、米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡る県と国の対立は深まる一方だ。
斉藤鉄夫国土交通相は、移設に向けた防衛省の設計変更申請を5月16日までに承認するよう、県に是正を指示した。玉城デニー知事は対抗措置に出ると見られており、県と国は新たな法廷闘争に突入する可能性が大きくなった。
沖縄の未来にとって望ましい状況では到底ない。本来であれば、県は辺野古反対一辺倒の姿勢を見直し、より柔軟な姿勢で国との関係改善を図る必要がある。
だが、玉城知事は辺野古移設に反対する「オール沖縄」勢力の支持を得て県政運営を進めている。9月には知事選も控えており、辺野古移設に反対する政策が変更される見通しは、ほぼない。県と国との対立が知事選まで続くのは確実な情勢だ。
翁長雄志前知事の時代に続き、玉城県政も結局、4年間を基地問題で国との対立に明け暮れることになった。
そうした厳しい状況の中でも、4月から新たな沖縄振興特別措置法が施行され、県や各市町村が国に求める各種振興策は今後10年、基本的に継続されることが決まった。
ただ同法には初めて5年以内の見直しが盛り込まれた。沖縄側にも自立に向けた努力が認められなければ、沖縄振興の制度が廃止や変更されることも有り得る。沖縄にとって、いわば真剣勝負の5年間だ。
しかし辺野古を巡る泥沼にエネルギーを割かれたままで、果たして目立った成果を挙げることができるのか。現在でさえ八重山では「県は基地問題ばかり力を入れ、離島振興がなおざりにされている」という不満が根強い。
仲井真弘多県政の時代には知事自らが参加し、八重山で県と住民の懇談会が開かれたこともあった。だが翁長県政以降は、そうした集まりはぴたりと止まっている。そもそも八重山で、住民が知事の姿を目にする機会が極端に減った。
「オール沖縄」県政が離島に無関心というのではないが、基地を巡る政府との駆け引きに手いっぱいで、離島まで目配りする余裕がないように見える。政府との法廷闘争が繰り返されれば、一事が万事このような状況に陥らないか、県民には深刻な懸念がある。
国交相の是正指示が沖縄の「屈辱の日」とされる4月28日に行われたことから、基地反対派からは「政府の歴史認識が足りない」「あえてこの日を選んで指示したのか」などと反発の声が上がっている。
「屈辱の日」は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約で、沖縄だけ日本の施政権から分離されたことに由来する。県民が決して忘れてはいけない歴史である。
だが沖縄は72年に日本復帰を果たした。いわば屈辱は晴らされたわけだが、その後、現在に至るまで「屈辱の日」という言葉は、もっぱら反基地運動の中で使われている。
これでは「屈辱の日」という言葉の本来の意味が変質したまま後世に伝えられることになってしまう。県民が勝ち取った復帰の意義を、自ら否定することにもなりかねない。
国交相の是正指示と「屈辱の日」を結びつける牽強付会の解釈は、その最たるものだろう。

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