75年目の憲法記念日を迎えた。沖縄にとっては日本復帰50年の節目で、改めて憲法を考える機会となる。
苛烈な沖縄戦と27年間の米軍統治を経験した県民が「平和憲法のもとへ復帰したい」と強く願ったことは現在も語り継がれている。県内では長く憲法、とりわけ戦争放棄をうたった9条を絶対視する風潮が強かったことは事実だ。
しかし冷戦後、中国が軍事大国として急速に台頭し、ほかならぬ沖縄周辺で領土的野心をあらわにするようになった。八重山では、尖閣諸島周辺で中国艦船を見ない日がないという状態である。
日本では国連を過大評価する雰囲気があるが、ロシアのウクライナ侵攻は、国連の常任理事国ですら、平然と他国を蹂躙(じゅうりん)して恥じない現実があることを広く世界に知らしめた。
現在とは全く国際情勢が異なる75年前に制定された憲法9条で、今後も国民の生命や財産を守り続けることができるのか。ウクライナ問題は日本に重い問いを突き付けた。
特に憲法9条の戦力不保持を定めた条項は、自衛隊が国民にとって欠かせない存在となっている今、あまりにも現実から乖離(かいり)していると言わねばならない。
沖縄に米軍基地が集中するのは沖縄戦や米軍統治という歴史的な事情によるものだ。しかし戦後、いつしか日本は自国の防衛を米国にゆだね、自らは経済成長のみに邁進(まいしん)する姿勢が目立つようになった。
そうした「甘え」が広大な在沖米軍基地の存在や、沖縄の重い基地負担の追認につながってしまったのではないか。
「自分の国は自分で守る」という確固とした信念を持たない限り、米軍依存の安全保障は続き、目に見える米軍基地の削減も進まない。米軍ではなく自衛隊が沖縄を守ることこそ本来の姿であり、憲法9条が自主防衛の足かせになっているのであれば、沖縄こそ率先して改憲の必要性を求めるべき立場にある。
具体的な一歩は憲法への自衛隊明記だ。憲法の平和主義、国民主権、基本的人権の尊重という三大理念が不朽のものであることは当然で、平和主義を堅持しながら、国防のあり方を現実的なものに変えることは、何ら不自然ではない。
国会では改憲に前向きな自民、維新、公明、国民が衆参両院で改憲の発議に必要な3分の2を超える。
しかし改憲を政権の目標に掲げた安倍晋三元首相の時代ですら論議は一向に前に進まず、改憲に向けたスケジュールも曖昧なままだ。改憲に対する理由なきアレルギーが国民の間でいかに強いかを物語る。日本の安全保障を最前線で担う沖縄が、積極的に声を上げるべき理由がそこにある。